|
「ピンクって好き?」
光っくんが瞬きを二回したあと、ピンク?と聞き返した。そう、ピンク。 私が言うと、光っくんは少し考えて、べつに、と言った。 私の予想では光っくんは、嫌い、と言うはずだったから少し吃驚した。 光っくんは続けて理由を述べるわけでもなく黙って作業を続けるから、私はこの話は終わってしまったのだと思った。 「は?」 作業を続けながら光っくんが聞いた。まだ話は終わっていなかった。 だけど聞いておきながら光っくんの目線は下にあって、あまり興味がなさそうに見えた。 「べつに」 「真似すんなよ」 「真似してないよ」 べつに、が私の答えだった。真似したわけじゃない。 光っくんに質問する前から自分の答えは既に決まっていた。 好きでも嫌いでもない。だから、べつに、だった。 「なんで聞くんだよ、そんなこと」 光っくんはまた目線を下に向けながら聞いた。 べつに、と答えるとき、私も目線を下に向けた。 相手が自分を見ていないのに、自分だけ相手を見ながら話すのは淋しいと思った。 光っくんが顔をあげたのが視界の端の方で見えた。 だけど私の目線が下に向いたまま。なんとなく、そうしてた。 「怒ってんの?」 光っくんの口調は普通だった。 いらいらしているわけでも、すごく心配しているわけでもない。 ただ普通にそう聞いた。 べつに。私がまたそう答えると、光っくんは黙った。 普通に言ったつもりだったけれど、光っくんには怒っているように聞こえたかもしれない。 でもよく考えてみれば、私が怒る理由などひとつもなかった。 もしいま私が怒っていたら、それはこのまえ国語で習った"理不尽"というものではないかと思った。 「べつに、怒ってないよ」 私が顔を上げてそう言うと光っくんと目が合った。 表情を見て一目でお互い怒ってないことを確認すると、光っくんは一息ついた。 それから、べつにって言うのやめようぜ、と言った。また言い続けそうだし、と。 言ったらどうするの、と少し笑いを含めながら聞くと、罰金、と光っくんもすこし笑いながら答えた。 「いくら?」 「五十円」 「安」 「でも十回言ったら五百円だぜ」 光っくんは自分のことなど全く心配していない。私が言うのを前提に言ってるんだと思った。 そんなに言わないよ、という返事を言う私を見て笑ったのを見て、やっぱりそうだ、と思った。 私はすこし悔しかった。 「水色って好き?」 さっきの会話から間を空けて聞いた。 光っくんは少し考えて言葉を選んだ末、微妙、と答えた。 微妙もNGワードにしておくべきだったと私は思った。 でもNGワードを言ったからといって、罰金を本当に取るつもりはない。…少なくとも、私はそうだ。 「嫌いなの?水色」 「嫌いじゃないよ」 「じゃぁ好きって言えばいいじゃん」 「好きって言えば好きだけど」 好きって言えば好きだけど、って、好きじゃないように聞こえる。 これじゃぁ光っくんが本当に水色を好きなのかわからない。 「男の子って水色好きじゃないの?」 私の質問に光っくんは「十人十色だろ」と言った。その言葉もまたこのまえ国語で習ったものだった。 私は初めてその言葉を知ったとき、すごく便利な言葉だと思った。それに音の響きが素敵だ。 "人それぞれ"と言うよりも"十人十色"と言った方が頭がいい人みたいだな、と思った私は我ながら単純だと思った。 「なんでそんな質問ばっかすんの?」 光っくんはまだ怒ってはいなかった。 さっきより少し気になる様子で、作業をやめて私を見てる。 「私ね、女の子が水色好きでも、いいと思うの」 「…俺、 ダメだなんて言ったっけ?」 「ううん、言ってない」 光っくんの頭上には、見えないけれど、ハテナがたくさん浮かんでいるんだろうなぁと思った。 だけど私が続けて何か言うまで、光っくんは口を開かなかった。 だってさぁ。私が呟くと光っくんは、うん、と返事をして話を聞く姿勢になった。 私には小さいころから気になっていたことがある。 その疑問についての私の答えは、さっき光っくんに言った「女の子が水色好きでも、いいと思うの」だ。 ことの発端は、幼稚園での出来事だった。 お遊戯会でダンスをするとき、両手に花を付けた。 花といっても本物の花ではなく、先生たちが花紙で作った小さい花のことだ。 ダンボールいっぱいに入っている作ったばかりの花を見て当時の私は感激し、 早く自分の両手に付けたくなって、配られるのを心待ちにしていた。 そして待ちに待ったお遊戯会当日、私に配られたのはピンクの花だった。 ダンボールの中には二種類の花があった。ピンクと、もうひとつは水色だった。 私は水色の方が良かった。 あの透き通る空のようなキレイな水色が、ひと目見たときから目に焼きついて離れなかった。 先生に「水色がいい」と言ったが「水色は男の子のよ」と言って取り替えてくれなかった。 周りを見渡してみれば、女の子はみんなピンクを持っていた。そして男の子はみんな水色を持っていた。 そんなの、ずるい。家に帰った私はお母さんに向かって駄々をこねた。 鞄の中に入れて持って帰ってきたピンクの花は、くしゃくしゃになってとても花には見えなくなっていた。 泣いて騒ぐ私にお母さんは「ピンクだって可愛いでしょう?お母さんはこっちの方が好きよ」といった。 可愛くても、お母さんが好きでも、私は水色がよかった。 その日、私は夜お父さんが帰宅するまでずっと駄々をこね続けていた。 「光っくんはどうだった?分けられるのいやじゃなかった?」 「が言ったようにさ、男だからピンク持たされること無かったし、特に気にしてなかった」 「そっか。でも光っくんは今でも気にしてなさそうだよね」 「気にするよ。俺、黒好き。あと青も。」 光っくんの口から、やっと好きな色の名前が出た。 水色は微妙で、青は好きっていうのは何だかおかしいと思ったけれど、口には出さなかった。 男の子のだいたいは光っくんのように黒と青が好きと答えるんだろうなぁと思った。 男の子の持ち物は、だいたい黒か青な気がする。 「でも光っくんには水色が似合うと思うよ」 「そう?」 「へたするとピンクも似合っちゃうかもしれない」 「なに、その、へたするとって」 例えば女装した時とかさ、と言った私に光っくんの冷たい視線が刺さった。冗談に決まってるのに。 「…っていうわけでさ、ここ色は水色にしようと思う」 色の話で脱線していた、部活勧誘ポスターの色塗りを再開させることにした。 光っくんは会話しながらも作業を続けていたから、話をし始めた頃は鉛筆描きで大まかにかかれていた"サッカー部"の文字が、 今ははっきり目立つように青い文字で大きく描かれていた。青にしたのはやっぱり光っくんの好みなんだろうか。 それにしても、光っくんは他の男子に比べてこういうことを丁寧にやる方だからすごく助かる。 青い絵の具がついた筆を水入れでじゃばじゃば洗いながら、光っくんは私の提案に快く承諾してくれた。 というのも、私が水色に塗ろうとしていたのは、絵の中の私のTシャツだったからだ。 絵の中には私だけじゃなくサッカー部のみんなもいる。 もちろんメインはサッカー部なわけだから、マネージャーの私はおまけのようなものなのだけれど。 下書きの線をはみ出さないように丁寧に筆をすべらせ、白い部分はあっという間に淡い水色へ変わった。 水彩絵の具の水色は、どの色よりも一番キレイだと思う。 色を塗るのが楽しくなってきた私は、水色がついた筆をいったん洗って、今度は朱色に白を混ぜてオレンジを作った。 そして他のみんなのTシャツも次々といろんな色で塗っていった。 私がそれをしている間、光っくんはみんなの顔を肌色で塗っていた。逆さまから作業をしていても、光っくんはキレイに色を塗る。 「できた!」 みんなのTシャツを塗り終えて、筆を置いて改めて絵を眺めてみると、我ながらいい出来だと思った。 みんな普段はこんなに色とりどりなTシャツを着ているわけではないけれど、先生はきっと大目に見てくれるはずだ。 肌色を塗り終えて髪や目を黒で塗る作業に集中していた光っくんは顔をあげて、私が塗った部分を見て頬を緩めた。 「おーいいじゃん。思ってたよりキレイ」 「失礼ね。私だって色塗りくらいちゃんとできるんだから」 私がそう言うと光っくんは笑って、また色塗りを再開させた。 何だかんだ言いつつも光っくんに褒めてもらえたのは嬉しかった。 頑張った分のご褒美はそれだった。 ご機嫌になって鼻歌を歌いながら使っていた筆やパレットを洗っていると、後ろから光っくんの叫び声が聞こえた。 どうやら絵の中の自分が着ているTシャツの色に気づいたらしい。 私の名前を呼ぶすこし怒った声が聞こえるけれど聞こえないふりをして、筆についたピンクの絵の具を洗い落とした。 |
色づく世界 (05:光っくんと色塗り) / 2005.08.12 | 戻る |