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がうちに遊びに来ると、決まってつきあたり奥にある和室で時間を過ごす。 うちに一部屋だけある和室は客間になっているから、お客が来ることがなければ 俺はこの部屋に入ることはほとんど無い。 だからたまにこの部屋に入ると、自分の家ではないような新鮮な気持ちになる。

がこの部屋を選ぶ理由は定かではない。前に聞いたことがあったけれど、 気持ちが良いから、とか、好きだから、と言って、詳細を語ることは無かった。 理由が気になりはしたけれど、深入りをするのはやめた。 いつか気が向いた頃に教えてくれると思ったから。 そう思えるのは、幼稚園に通っていた頃に、似たような出来事があったからだ。


それは絵を描く時間のことだった。真っ白な画用紙に、水色のクレヨンで空を描いていたとき、 隣に座っていたはその水色のクレヨンをじっと見つめ、俺が空を描き終えると、 そのクレヨンかして、と言った。 全員に配られたクレヨンは同じメーカーのクレヨンだった。 ちゃんと自分の分もあるはずなのに、なぜ俺のクレヨンを使いたがるのか分からなかった。 不思議に思ったけれど、俺はそのクレヨンを貸した。するとは満足そうに笑って同じように画用紙に空を描いた。 は俺が黄緑色のクレヨンを使って草を描くのを見ると、そのクレヨンかして、とまた言った。 その様子を見ていた先生が困った様子で、ちゃんのクレヨンはここにあるでしょう?、と言った。 だけどは、英士くんのがいいの、と一点張りだった。

小学校に上がっての図工の時間、突然が幼稚園でのあの出来事を思い出して、 英士が使ってると特別なものに見えたから、と理由を語った。
思えば、自分も同じようなことをしたことがあった。小学校に入る前、親にあいうえおの書き方を習っているとき、上手く書けなくて 使っていたエンピツを親が使っていたものと交換してもらったことがある。 エンピツを取り替えて書いてみると、取り替える前よりなんとなく上手に書けたような気がしたのを覚えてる。



がうちに遊びに来るときは決まって晴れの日だった。 うちに来る前に電話をかけてきて、訪ねて良いかと毎回確認する。 うちに来ると、何をするでもなく、庭に面してある窓を全開にして窓の近くにうつ伏せに寝転んで黙っている。 特に用が無ければ会話をすることも無い。陽がだんだん落ちてき始めたころは家に帰る。 俺はその間、の横で読書をする。 読書をするには最適の環境で、時間も忘れるほど熱中してしまうこともしばしばあった。


今日も天気は晴れ。春の暖かい雰囲気が眠気を誘う。 が家に来るのは一ヶ月ぶりだった。 和室に入ると着ていた上着を脱いで畳の上に寝転んだ。 そして目を閉じて、畳の匂いに安心したような顔を見せた。
俺はいつも通りの隣に腰を下ろして、読みかけの本を開いた。

「私、この部屋好きだな」

目を閉じたままが呟く。小さな声で、耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうだった。

の家にも和室あるでしょ」
「あるけど、違うの。匂いとか」

匂い。自分の家の匂いを意識したことはない。 魚を焦がした時や、母親が香水を零した時は別として。 他人の家がそれぞれ匂いが違うのは知っているけれど、 畳のい草の匂いはどこも同じじゃないのだろうか。

「匂いって、どんな?」
「あったかい、お日様の匂い」

は匂いを確かめるように深呼吸をする。 丁度、窓から入ってきた風に草の匂いも運ばれてきた。 春にしか感じることのできない、暖かくて柔らかい空気が部屋を包む。 はそっと目を閉じて、春に浸った。

「おばあちゃんちに居るみたい」

目を閉じたまま、昔のことを思い出すようにが呟いた。 俺はのおばあちゃんを写真の中でしか見たことが無い。 日当たりの良い縁側に座っていて、その膝の上にはまだ幼いが座っていた。 のおばあちゃんには一度も会ったことはないけれど、 写真の中で微笑むその顔はとても優しそうで穏やかな印象を受けたのを覚えている。 だけど今はおばあちゃんも、その写真に写っていた家も無くなってしまった。 は、その昔のことを忘れないように、うちに来るたび思い出して、懐かしさに浸っていたんだ。

「ちょっと寝ても良い?三十分くらい」
「良いよ」
「英士も本ばっかり読んでないで、たまにはお昼寝したら?」

あまり眠くなかったし本の続きが読みたかったから断ったら、が腕を引っ張って本を取り上げた。 そして、いいから寝なさい、とまるで保育園の保母さんのように言った。 俺が保育園に通ってたころも、昼寝を拒んでこんな状況になったことがあったのを思い出した。

大人しく、言われるがまま畳に寝転ぶと、春の匂いがいっそう感じられて不思議な気持ちになった。 畳に寝転んで昼寝をするなんて何年ぶりだろう。

「英士」
「なに」
「腕枕して」
「やだよ」
「けち」

浸透する陽光 (02:英士とお昼寝) / 2005.03.28 | 戻る