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ジャーッ…

バケツから流した少し汚れた水は、すいこまれるように排水溝へと流れて行った。 からっぽのバケツに、また蛇口をひねって水をいれた。 最初は真っ白だった長方形の雑巾も、少し形が崩れて灰色っぽくなっている。 バケツに半分だけ水をいれて、今度はその薄汚れた雑巾を洗った。 ついこの間までぬるい水しか出なかった蛇口からは、ひんやりと冷たい水がでてきた。 私の手はつめたくなって、指先がほんのり赤くなった。あんまり感覚が無い。

「もーやだ」

汚い雑巾で汚い床を拭くことに意味があるのだろうかと考えてしまった。 なんだか雑巾を絞る力が入らなくて、水の入ったバケツに雑巾を戻した。 くしゃくしゃだった雑巾はゆっくりと広がって浮いた。

「なにやってんだよ、そんな格好して」

そんな格好っていうのは多分、スカートの下にジャージを穿いちゃってるのを指してるんだと思う。 掃除する為に穿いたんだけど防寒対策でもある。結構あったかいのよ! で、真面目に掃除をしようとしてる私に話しかけて来たのは真田一馬だった。 1年の時は同じクラスだったけど、2年になってからはクラスが別れてあんまり会うこともなくなった。

「雑巾掛けしたこと無いようなお坊ちゃんが何の用?」
「誰が坊ちゃんだよ…雑巾掛けくらいやったことあるし」
「あ、そう。ねぇ、暇ならそこの雑巾絞って」
「暇じゃない」
「私、掃除やりたくない」
「…俺に掃除をやれって?」
「え、何?やってくれんの?」
「無理」

なんだよその気にさせといて! 真田は水を飲んだり、手を洗ったりとかしないでただ私の横に立っていた。 立ち止まってるってことは急いでないんだから暇じゃん…!

「…何しに来たの?」
「たまたま通りかかっただけ」
「雑巾絞って」
「やだよ」
「ケチ!」

本当に真田が掃除をしてる姿を見たことがないような気がする。 サッカーがどうのこうので欠席とか多いのに放課後のこの時間まで学校に居る事が不思議なんだけど。 おまけに今日はいつものデカいビニールバッグを肩にかけてない。 同じ学校に通ってるはずなのにどこかの私立に通ってる様に見えてしまう。 庶民の私がエリートと一緒にいるのも不思議すぎるけど気にしない。

「ねぇ、お湯でないの?コレ」
「でるわけ無いだろ」
「小学生の頃さ、蛇口からジュースが出てきたら良いのに!とか思わなかった?」
「全然」
「…」

ひやかしなら帰ってちょうだい!

真田の両手はズボンの左右のポケットにつっこんだままで、仕方ないから自分で雑巾を絞ることにした。 バケツにそっと手をいれると、さっきと全然温度は変わらず冷たいままだった。 びしょびしょで冷たい雑巾を両手でギュッと絞った。手が冷たすぎて全然力が入らない。

「なぁ、それ本気?」

横に居た真田が雑巾を見つめながらそう言った。 私が握ってる雑巾からはまだ水がぽたぽたと落ち続けてる。

「早く帰りたいのに冗談でだらだらやって何の意味があるのよ」
「普段もだらだらしてるけどな、は」
「うっさい」
「貸せよ、それ」

真田はポケットから両手を出して、何をするのかと思えば私の手から雑巾を取った。 真田の手は私の手より少し大きくてちょっとゴツゴツしてる。 その手でギュッと絞った雑巾からはたくさん水が出てきた。 嫌だって言ってたのに、やっぱりやってくれる所は前と変わってない。

「うわ、冷て」
「だから言ったじゃん」
「ていうか何で一人で掃除してんだ?」
「可哀想だと思うなら、手伝って」
「だから何でやってんだって聞いてんだけど」
「3日連続遅刻+宿題忘れで…!」
「…1年の時と全然変わってないな」
「真田もね!」
「うるせー」

そう言って真田は絞った雑巾を私に渡した。それから石鹸で手を洗ってた。 真田の手は私の手と同じ様に赤くなってて、多分感覚がなくなってると思う。 蛇口を捻って水を止めると、びしょびしょの手をぶんぶんと振っていた。 私はスカートのポケットに入ってたハンカチを差し出した。(ピンクの可愛い花柄のやつ!) 真田は「なんだこの柄」とか思ってるんだろうけど、笑ってそのハンカチを受け取ってた。

「なんか掃除する気なくなってきた。かーえろ」
「なんだそれ」
「だいたいね、か弱い女の子一人で掃除なんて無茶!」
「全然無茶じゃねぇし…こんなことになるのも自業自得だろ」
「とりあえず雑巾が湿ってれば、後で見に来た先生も"ちゃんとやったのか!"って思うでしょ?大丈夫」
「そんなバカな教師いねぇ…」
「余裕!じゃぁ雑巾おいて鞄とって来るから待ってて」

私は雑巾とからっぽのバケツを持って教室に向かった。 机の上の鞄を持って、また手を洗いに水のみ場に戻った。 石鹸と冷たい水で手を洗って、真田からハンカチを返してもらって手を拭いた。 真田を見ると何か言いたそうな顔をしてたけど、あえて何も聞かずに昇降口へと向かった。 でも私の後ろを歩いてる真田がつぶやいた。

「一緒に帰るなんて言ってない」
「帰っちゃマズイ?」
「気まずい」
「気まずいって"お互いの気持ちがぴったりしないで何となく不愉快だ"って意味だし!」
「なんでそんなこと知ってんだよ」
「国語は得意分野!ていうか私は愉快だよ」
「俺は不愉快」
「え!」
「…冗談」

驚いた私の顔を見て真田は笑った。 無口だったり、ひやかしたり、わらったり。真田はときどき意味不明だとおもう。 最初は無口で女子だけならともかく男子とも全然喋ったりしなくて"変な奴"だと思ってた。 初めて喋った時も今日みたいに私が放課後掃除をしてる時に忘れ物を取りに来て、 一人で文句を言いながら掃除をしてる私に「なにやってんだ」って真田が言ったんだっけ。 その時真田も私を"変な奴"って思ってたに違いない。 それから少しずつだけど会話をするようになって、少し仲良くなれた気がする。

「背のびた?」
「かもな」
「サッカーやると背のびるの?」
「さあな」
「ふーん」

真田一馬といえば学校では結構有名人だったりするわけで。 でも彼は自分から他人に話しかけるようなタイプじゃなくて。 次第に真田もクラスの男子と少しずつ喋るようになって、でも女子とは距離を置きまくりなところは変わらなかった。 他の女子とは違った態度で接してくれる真田は私のことをやっぱり"変な奴"って目で見てるに違いない。

「真田って変だよね」
に言われたくないし」
「じゃぁ私も変だってこと?」
「"私も"じゃなくて"私は"な。俺は変じゃない」
「真田が変じゃないなら私も変じゃないよ」
「…もういい」

真田と喋るのはおもしろい。私が喋る回数多いけど。 私がにこにこ笑ってると「キモイ」と真田に言われてしまった。レディになんてことを! いつの間にか真田はすたすたと私の前を歩き出してて、昇降口に着いた時 上履きを下駄箱に入れて少し汚れたスニーカーに素早く履き替えてた。

「わ、待ってよ!」
「…マジで一緒に帰んの?」
「そうだけど。悪い?」

私も上履きをしまってもう既に歩き出してる真田を追った。 真田と一緒に帰るのは初めてだった。ていうか真田が誰かと一緒に帰ってるところは見たことが無い。 いつも一人だから寂しくないのかなーとか思ってしまう。 彼女だって居たって全然不思議じゃないのに、そういう噂とかも全然聞いたことが無い。 一匹狼って真田の為にある言葉だよ、たぶん。

「ねー」
「…」
「さーなだ」
「…」
「一馬くん」
「んだよ!名前で呼ぶな!」
「なに、照れてんの?ほんとに面白いね」
「…だから一緒に帰んの嫌なんだよ」
「二人の方が楽しいじゃん」
「疲れる」
「…」
「…楽しいか?」
「え?うん、楽しい!」

真田は質問したくせに興味無さそうに「ふーん」って言ってた。なんなの! 学校から出て、信号を渡ったらいつも行ってるコンビニが見えてきた。 丁度コンビニから出てきた小学生が幸せそうに肉まんを食べていた。

「真田真田!」
「…何だよ」
「コンビニ寄ってこ!肉まん食べよ!」
「俺腹へってないし」
「認めない」
「おい!」

私は真田のブレザーの袖を引っ張ってコンビニへ向かった。 コンビニに入るとレジのところに肉まんの入ったケースが見えた。 知らない内に新しいやつとかもあるよ…!カレーまんとかどうなの?おいしいの?

「私肉まんが良い」
「だから何だよ…」
「え!真田のオゴリじゃないの?」
「…ったく」

え、え、マジで払ってくれるらしいよ、真田は! 既にもうコンビニのお兄さんから肉まん受け取ってるし。 真田に「行くぞ」って言われて私はあわててコンビニを出た。

「ほら」
「わー…あ、ありがとう」
「何でそんなに戸惑ってんだよ」
「え、だって」
「心配しなくたって倍返ししろなんて言わないし」
「なんだ、安心した」

私の答えに真田は笑った。 真田が笑ってる!とか思って見ちゃってたら「早く食え」って怒られた。 半分こしようって言って、肉まんを半分に割った。6:4の割合かもしれないけど…! 帰り道をゆっくりと歩きながら食べた肉まんはおいしかった。

「俺の家あっちだけど、は?」
「私むこう。なんだ、ここでサヨナラか」
「じゃ、またな」
「真田」
「何?」
「二人の方が、楽しかったでしょ?」
「…さあな」
「また雑巾絞ってねー!」
「絶対ヤダ」

キッパリとそう答えて、でも顔は少し笑ってた。 冷たくしたり、優しそうに笑ったり、真田はずるい。 私たぶん真田が好きなのかもしれない。 冗談はたくさん言えても、心の底の気持をいうのはとても難しくて恐い。

そんなことを知らない真田に私は笑って手を振った。

see ya / 2003.10.26 | 戻る