|
暑さが遠のき、季節は足早に秋を駆け抜ける。
今すぐにでも季節が冬になってしまうんじゃないかと少し不安になったけれど、
ちょっとだけ速度を落としてくれたみたいで、まだ秋を堪能することができた。
気温が下がって、頬や膝に当たる木枯らしに身震いしたりするけれど、 赤や橙、黄色に染まった木々を見ていると心がほんのりあたたかくなる。 春の青々とした葉や色とりどりの花を見たときとはちょっと違うあたたかさ。 いつも通っているこの並木道は、この季節に歩くのが一番好きだ。 落ち葉の絨毯はふわふわしてて、歩くたびにさくっと音が鳴る。 今すぐにでも駆け回ってしまいそうな心踊る気持ちを抑えるのに私は精一杯だった。 ふと隣に目をやれば、一馬が両手をポケットに入れて気難しい顔で歩いていた。 色の変わった木々や落ち葉の絨毯など眼中に無いのか、やや下を向いた顔は自分のスニーカーのつま先だけを見つめている。 先日の衣替えで制服が長袖に替わったけれど、ブレザーを着てても今日はちょっと寒いかもしれない。 私はセーターを着てマフラーを巻いているから頬と膝以外はあったかいけど、一馬はセーターもマフラーも無い。 私より大きな身体を縮こませ首をすくめて歩く姿は明らかに寒そうだ。 「一馬、大丈夫?」 「大丈夫って、なにが」 「寒そうだけど」 「…寒くない」 一馬は変なところで意地を張る。 男がこれくらいの寒さでへこたれるなんて、とか思ってるのかもしれない。 私は一馬が寒さに負けてもなんとも思わないんだけどな… 雪国に住んでいるわけでもないし、寒さに弱くたって当たり前だと思う。 でも精一杯かっこつけてる姿がなんだかおかしくて、一馬にばれないように小さく笑った。 並木道を抜けると、落ち葉の絨毯も終わってしまった。 絨毯の上を歩くのと硬いコンクリートの上を歩くのとでは全く世界が違うように思える。 何も無いコンクリートの上を歩いていても、さっきのように心躍らない。 一馬はどっちを歩くときも同じ顔。はやく家に帰りたいのか、ちょっとだけ早足になっている。 気付けば一馬は隣ではなく前を歩いていた。私がゆっくり歩きすぎているのかも。 けれど、一馬が私と一緒に歩いているということを忘れているように見えて、 駆け足で追いつき、また隣を歩いた。 一馬は横目で追いついた私を見る。遅い、と言いたいのかな。 でも、私そんなに足長くないんだから、そこは大目に見て欲しい。 「あったかいもの食べたいね」 相変わらず寒そうにしている一馬に言うと、下を向いたままコクっと頷いて返事をした。 「でも俺、いま財布持ってないからな」 「私も持ってないよ」 一馬の頬と鼻の頭がほんのりと赤くなっている。 私の場合は顔だけじゃなく、両膝も赤くなっていた。 冷えすぎて歩くたびにちょっと痛みが走る。靴と靴下で隠れているつま先も冷え始めてきた。 あと数分もすれば家に着く。帰ったら、あったかい服に着替えて、コーンスープでも飲もう。 最近飲んでなかったけど、戸棚にインスタントのやつが残ってたはず。 夕飯はシチューがいいなあ…シチューじゃなくても、とにかく身体が温まるおいしいものが食べたい。 そんなことを考えながら歩いていると、家はすぐそこまで近づいていた。 ん、あれ…? 家の前にトラックが止まってる。 トラックはよく見かける運送会社のもので、 止まったままだから既に運転手さんは降りて、お母さんに荷物を渡しているところかもしれない。 なんだろう、誰から送られてきたのかな。 すると、家の方から運転手さんが出てきた。よく見てみれば茶色のダンボールが抱えられている。 え…もしかして、誰も家に居ないの? お母さん、出かけるなんて行ってたっけ? すぐ後ろに住人が歩いていることなど知る由も無い運転手さんは、 そのダンボールをまたトラックの荷台へと積み込もうとしている。 「あ、待って!」 荷台を開けている運転手さんに向かって言ったけど、振り向く様子は無い。 こんなに近くに居るのに、いま逃して後で再配達してもらうのは運転手さんにも悪い気がして、私は全速力で走り出した。 全速力といっても、もともと足は速くないし、凍りついたように冷えた膝が痛くて思うように走れない。 ダンボールは積み込まれ、荷台の扉が閉められた。諦めるしかないのかと思っていたら、 誰かが私を追い越し、トラックの方へと走って行く。それは後ろに居たはずの一馬だった。 一馬はボールを追いかけるように、あっという間にトラックの元へ辿り着き、 運転席に乗り込もうとしていた運転手さんを呼び止める。 そして、やっと追い着いた私を指差し、この家の住人だと教えると、運転手さんは驚いた顔をして私を見た。 運転手さんは中年の小柄なおじさんだった。 「すぐに気付かなくてごめんねー」 おじさんはと人柄の良さそうな笑顔を浮かべて言った。 ああ良かった、いい人そうで。私はほっと胸を撫で下ろした。 おじさんは再び荷台の扉を開けると、うち宛てのダンボールを手前に出した。 伝票に押すハンコを取りに家へ入ろうとしたら、サインで良いよとおじさんが言ってくれて、 差し出されたボールペンで苗字を書いた。伝票を見てみると、送り主は田舎のおばあちゃんになっている。 「これ重たいよ。玄関まで運ぼうか?」 「いえ、ここで大丈夫です。自分で運びます」 小柄なおじさんが軽々と持っていたんだから、私にも普通に持てるはずだ。 そう思って、おじさんからダンボールを受け取ったとたん、私の小さな悲鳴と共に、荷物は磁石のように地面へくっついた。 すっかり気を抜いてたのもあったのかもしれないけれど、荷物は想像を超える重さだった。 おじさんは驚いて私を見ている。まさかここまで勢いよく落下するとは思ってもいなかったみたい。 「大丈夫?」 「こ、こんなに重いなんて…」 「やっぱり玄関まで運んであげるよ」 「俺が持ちます」 横に立っていた一馬がダンボールに手を差し出しながら言う。 おじさんはまた同じことが起きないか、まだ少し心配した様子だったけれど、 一馬がちゃんと荷物を持ち上げたのを見てまた笑顔に戻った。 そして私達に別れを告げると、トラックに乗り込み次の配達先へと向かっていった。 「早く鍵開けろよ」 ぼけっとしてトラックを見送っている私に一馬が言った。ダンボールはお腹の位置まで持ち上げられている。 私はせいぜい頑張っても膝の位置くらいまで持ち上げるのが限界。 こんなに重い荷物…いったいおばあちゃんは何を送ってきたんだろ。 鍵を開けてみると家の中は静かで、玄関にはサンダル一足だけがぽつんと残っていた。 お母さんがいつも履いている黒いパンプスは見当たらない。 スーパーまで買い物に行っちゃったのかな。 「中まで運ぶのか」 「あ、ううん、ここでいい。どうもありがとう」 玄関マットの上に、どすんっと音を立てながらダンボールが置かれる。 やっぱり重かったのか、ダンボールを置くと一馬は、ふう、と息を吐いた。 一馬が居なかったら、外から玄関までずるずる引きずらなければならなかっただろう。 ほんと、いざというとき頼りになる。よかった。 私ももうちょっと体力つけないと。これくらい運べなくてどうするの、ってお母さんに怒られるかもしれない。 「これ、宛じゃん」 一馬が伝票を見ながら言った。 見てみると、確かに届け先のところに私の名前が書いてある。 今日は私の誕生日じゃないし、事前に連絡があったわけでもなくて、 なぜ今の時期に私宛に荷物が届くのか全くわからなかった。 「送り主、おばあちゃんなんだ。さっそく開けてみよ」 一馬とダンボールを玄関に残し、ダンボールをくくってある紐を切るため、リビングまでハサミを取りに行った。 リビングのテーブルの上には、買い物に行ってきます、と書かれたメモが置かれていた。 買い物に行ってしまうっていうことは、やっぱりお母さんにもおばあちゃんから連絡が無かったということになる。 いつもは何か送るとき連絡をしてくれるのに、忘れちゃってるのかな。まあ、いっか。 紐をハサミで切り、ガムテープを剥がして開けてみると、視界に紅色が広がった。 辺りを漂う、甘酸っぱい匂い。 箱の中に入れられたたくさんの林檎に、わあ、と私も一馬も感嘆の声をあげる。 「林檎だ」 「すげーな…こんなにたくさん」 箱の中の林檎はどれも艶があって形もよくて、見るからにおいしそうだ。 最近、林檎を食べていなかったから無性に食べたくなって、 箱から一つ取り出して今すぐ食べることにした。 「ね、あがって。一緒に食べてみようよ」 ぼうっと突っ立ったままの一馬の腕を引っ張って家にあがらせ、 洗面台で手洗いうがいを済ませると、きのう出したばかりのコタツのスイッチを入れて一馬を座らせた。 やっぱり寒かったのか、徐々に暖まるコタツの中に両手も入れ、背中を丸めて身体をコタツに引っ付けるようにしている。 キッチンから小さいまな板と果物ナイフ、お皿、フォークを2本、お手拭を持ってコタツへ戻ると、 一馬は眠たそうな顔でテーブルに載った林檎を見ていた。 「猫みたいだよ、一馬」 コタツに足を入れると中は暖まっていて、冷えた両膝の痛みも徐々に消えていく。 「俺んち、コタツ無いから羨ましい」 「無かったっけ? じゃぁいつでも暖まりに来るがよい」 「偉そうに…」 睡魔に襲われかけているのか、一馬の声は小さくて覇気が無い。 私が林檎の皮を剥いているうちに、一馬はテーブルに頬を付けて完璧に眠る体制になってしまった。 目を隠している長い前髪を指でよけてみると、まぶたは閉じられていて、私が髪に触れたことにも気付いていない。 睡眠不足なのかな…でも、これから林檎を食べるっていうのに寝られてしまっては困る。 「こら、寝ないでよ」 ぺち、とデコピンをすると、一馬は重そうなまぶたをゆっくりと開いた。 それでもまだ気の抜けた状態の一馬は、だらーんとしてテーブルにもたれ掛かり、 皮を剥き終わっている林檎をじっと見ている。 「早く剥かないと変色するぞ」 「慣れてないんだから素早く剥けないよ。血の味がして果肉も赤い林檎を食べたいなら急ぐけど」 「気持ち悪ぃこと言うなよ…。だったら、塩水に入れりゃいいじゃん」 「最初はそのままの味で食べたいの」 一馬は相変わらず林檎をじっと見ているけれど、それを食べようとはしなかった。 時折、私の手元に視線をやり、指を切らないか注意深く見ている。 そこまで危なっかしく見えるのかな…前よりは上手に剥けるようになったと思うんだけど。 「はい、どうぞ召し上がれ」 剥き終えた林檎を載せたお皿とフォークを差し出すと、一馬は隠れていた手をコタツから出してフォークを握った。 けれど一馬は、まだ変色していない林檎を前にフォークを握ったまま、お手拭で手を拭いている私をじっと見ている。 え、私なんか変なことした? 「なに、なんか足りないものでもある? 飲み物?」 「が先に食えよ」 「なんで」 「だってこれ宛だろ…俺が先に食うのはおかしい」 「私も今食べるんだから、後先関係ないと思うんだけど…」 「関係ある」 「そうかな…じゃぁお先にいただきます」 男の子って、我先にと食いつきそうな感じがするのに一馬は違う。 礼儀正しいというかなんというか…まあ、そこが一馬のいいところでもあるんだけど。 フォークに刺した林檎を半分口に入れると、想像したとおりの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。 シャキっとした果肉を噛めば噛むほど甘い果汁が出てきて、ただ林檎を食べているだけだというのに、私は至福を感じていた。 私が一つ目の林檎を食べ終えると、一馬も「いただきます」とこれまた礼儀正しく言ってから林檎を一つ口へ運んだ。 「おいしいよね、これ」 私が言うと、まだ林檎を食べている最中の一馬は首を縦に振って答える。 そして口の中の林檎を飲み込むと、すぐに二つ目の林檎に手を伸ばした。 「のばあちゃんち、林檎農園でもあんの?」 「ううん、無いよ。近所の人から貰ったんじゃないのかな。あんなに買うとは思えないし…」 「ふうん、そっか」 「あ、一馬んちにも、おすそ分けするね。おいしいし、うちだけじゃ食べきれないから」 「ん、サンキュ」 林檎を飲み込んで、一馬が少し笑みを浮かべて言った。 その表情を見て、私の心はぽっと温かくなる。 お皿の上の林檎は次々と私達の口へ運ばれ、あっという間になくなってしまった。 おいしかったなぁ、林檎。あとでおばあちゃんちに電話しなくちゃ。お母さんも帰ってきてみたら、きっと喜ぶだろうな。 食器を片付けてコタツへ戻ると、一馬は両腕を伸ばしたり首を回したりと、寒さで緊張していた身体の筋肉をほぐしていた。 「食い逃げみたいで悪ぃけど、俺そろそろ帰る」 このままだと寝そうだし、と一馬は生欠伸を噛み殺しながら立ち上がった。 「うん。あ、そうだ、袋持ってくる。玄関で待ってて」 鞄を持った一馬は玄関へ向かい、私は二階の自室へと向かう。 クローゼットの中から、一馬が持っても無難なデザインの紙袋を取り出した。 ショップ袋って取って置くとこういうときに役に立つからいい。 それと、ハンガーにかけていた黒のマフラーも取り出した。 帰り道も身体を縮こませて歩いていたら肩はこるだろうし、風邪をひいてしまうかもしれない。 紙袋とマフラーを持って玄関へ行くと、両手をポケットに突っ込んだ一馬がドアに寄りかかりながら立っていた。 「はい、これ貸してあげる」 持ってきたマフラーを差し出すと、一馬は「いい」と首を横に振った。寒いに決まってるのに、なんで断るんだろ。 「風邪ひいたら困るでしょ」 さっと首にマフラーをかけて交差させ、「自分で巻く」とちょっと慌てた様子の一馬を後ろに向かせて結び目を作る。 これならもう冷たい風が当たることはないし、さっきよりはあったかくなっただろう。 紙袋に林檎を五つ入れて渡すと、一馬はまたお礼を言ってそれを受け取り、ドアノブに手をかけた。 ドアを開けたとたん、ひんやりとした風が家の中に入ってきた。枯葉が道路を転がり風の吹くまま飛ばされていく。 やっぱりマフラー無しじゃ寒い。あらわになった私の首もとには冷たい風が刺さるように当たる。 一馬は先程よりも姿勢がしゃんとしていた。 「明日はちゃんとセーター着てマフラー巻いてきなよ」 「ん…そうする」 ずび、と鼻をすすって素直に答える一馬が、なんだか幼い子供のようで少し笑ってしまった。 徐々に遠のいていく一馬の後ろ姿を見つめていると、後ろから強い風が吹きつけ身体が冷気に包まれる。 うう、寒い。早く着替えよ。身震いする身体を縮こませながら、家の中へ駆け込んだ。 冬はすぐそこまで近づいている。 |
かじかむ指とそまる頬 (08:一馬と冬支度) / 2005.12.10 | 戻る |