Font size :
気温32度。降水確率0%の快晴。元気にセミが鳴いてる。

ずっしりとしたビニールバックを肩にかけて、この道を歩くのにはもう慣れた。 賑やかな駅前から路地に入って、駅からそれほど遠くない自分の家へと向かうこの道も、何百回往復したことか。

「ねぇ、そこのお兄さん」

夕方でも鳴き続けてるセミの声と共に、人の声が微かに聞こえた。 ”お兄さん”って俺に対して言っているのかどうかも分からなかったし、 空耳だと思って立ち止まらずに歩き続けた。

「ちょっと待ちなさいよ!」

立ち止まって軽く後ろを振り返ると、そこには普通の女の子が居た。 俺より小さくて、肩あたりまである黒い髪の毛と、黒い瞳。 その目はじっと俺のことを見てる。

「…俺のこと呼んだ?」
「呼んだとも」
「何か用?」
「無愛想だね、君」

そっちこそ耳付いてんの?って聞きたい。 俺は小さく溜息を付いて、また前を向いて歩き出した。 なんで初対面の奴に無愛想だとか言われなきゃならないんだ。

「シカト?」
「…だから”用件は何?”ってさっきから聞いてるんだけど」
「そうだった。コンビニ探してるんだけど何処にあるの?」
「ココ真っ直ぐ行って左に曲がって駅前通りに出て右に曲がった所にある」
「あ、そうなんだ。サンキュー!」

その子は笑ってそう言い残すと、駅の方向へと向かって歩いていった。 何だったんだ、一体。

バッグを肩に掛けなおして俺も家と向かった。



「…暑い」

玄関のドアを開けても、外に居るのとあまり気温差が無かった。 とりあえず誰も居ないリビングに行ってエアコンをつけて、それから風呂に入った。 風呂から出て少し涼しくなったリビングを通ってキッチンにある冷蔵庫を開けた。

…ちくしょう、飲み物がひとつも無い。

コップに水道水を入れて一口飲んでみたけど、水がぬるくてすぐに流した。 そういえば今朝も飲み物が何も無くて、時間が無かったから結局 練習行く前に自販機で買って飲んだんだった。 めんどくさいけど、コンビニ行くしかなかった。



「お、奇遇だね!」

家を出た途端、さっきの子にまた会った。 この暑さで何でこんな陽気で居られるんだ。南国出身か?

「…コンビニ行ったんじゃないの?」
「それがさー、お財布を家に置きっぱなしだったことに気付いて家戻ってたんだよね」

あはは、と笑ってから視線を俺の家に変えてじっと見つめていた。 それから表札を見て、俺の顔を見た。

「横山くんって言うんだ?」
「あぁ」
「どっか行くの?」
「コンビニ」
「もしかして私が迷ったら困るからって案内してくれるとか?優しいね!」
「冷蔵庫に飲み物が無いから」
「…」
「ほら、早く歩けよ。俺、脱水症状起こして倒れそう」

目をパチパチと瞬きさせた後、さっきよりも笑顔になって「うん!」とその子は答えた。 そんなにコンビニに行くのが嬉しいのか、俺にはよくわかんないけど。

夕方でも昼間と気温があまり変わらない。 額から落ちてくる汗が頬の所まできたから手で拭う。 コンビニまで、もう少し。

「よーこやーまくん。私のこと置いてかないでよ!」

普通なら隣から聞こえる声が後ろから聞こえた。 立ち止まって後ろを振り向くと暑さで水分を取ってない俺より疲れきった顔で歩く姿がある。

「歩くの遅い」
「横山君って優しいのか冷たいのかわかんないね」
「そういうの、あんまり意識してない」
「へぇー…」
「別に、傷つけようとして言ってる訳じゃないから」
「…やっぱり横山君は良い人だね!」

何故だかまた笑顔に戻ってやっと俺に追いついたと思ったら止まらずに歩き続けた。 笑ったり不機嫌になったり、なんだか忙しい奴。

「横山君、いつまでそこに居るわけー?置いてくぞ!」

道、知らないくせに。



「着いたー!」

コンビニの中に入ると、ひんやりと冷たい風が吹いた。 ジュース買うんだよね?、と聞かれて返事をする前に腕を引っ張られて奥に行った。 別に引っ張って案内してくれなくっても置き場所位分かるんだけど。

「あ、コレ新発売だって!飲んだことある?」
「ない」

俺は適当に2・3本ペットボトルを持ってレジに向かった。 会計を済ませて店を出ようとしたらまた呼び止められた。 何なんだ、一体。

「一緒にかえろーよ!」
「なんで」
「なんとなく?」
「聞くなよ」

コンビニのドアを開けて外に出ると、その気温差に眩暈がする。 近くの木から耳に響くセミの鳴き声で余計に暑苦しく感じる。

「横山君、コレあげる。お礼ね」
「…コレ、さっきの」
「2つ買ったから一緒に毒味してみませんか?」
「…」
「ほらほらー、早く飲まなきゃぬるくなっちゃうぞ!」


無理矢理ジュースを俺に押し付けた。ボトルは冷たくて気持ち良いんだけど。 人に毒味をしろと言っておきながら渡した本人は既に飲み始めていた。 一口飲んで顔色を伺って見ると、首を傾げて俺を見た。

「おいしい、かな?」
「だから聞くなよ」
「ウマイヨ、コレ!」
「…へぇ」
「”へぇ”じゃなくて良いから飲んでよ!」

何でジュースを飲まないだけで怒られなきゃいけないのか不思議だ。 仕方ないから一口だけ飲むことにした。 キャップを開けると”プシュッ”と音がして、飲んでみるとレモンっぽい味がした。

「おいしいでしょ?」
「…普通」
「捻くれ者!」
「なんでだよ」

おいしいじゃん、と言って彼女はもう一口飲んでからビニール袋にボトルを入れた。 まだ口の中にはさっきのレモンっぽい味が少し残ってる。

「…ていうか、誰?」
「聞くの遅!横山君の家の隣に引っ越してきたです。よろしく!」
「…そういえば今朝トラック停まってたっけ」
ちゃんって呼んでも良いからね!」
「やめとく」

暑いから早く帰ろう、とさっきまでボトルを持ってたから少し冷えた右手で 俺の左手を引っ張りながら歩き始めた。

口の中が微妙に甘酸っぱい。

Citron / 2003.08.19 | 戻る