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寒いくらいガンガンに冷房が効いた車内から一歩外に出ると、 暖かい空気に包まれ、一瞬だけ心地いい気になった。 けれどそれは本当に一瞬のことで、すぐに蒸し暑くて息苦しい空気に変わる。
乗っていた電車からは人が続々と降りてきて、足を止めれば人に流されてしまいそうだった。 ただでさえ暑いのに、人に囲まれて歩かなければいけないなんて辛過ぎる。 でも立ち止まっていつまでもここにいるわけにもいかない。 こうしているうちにも、反対側のホームに電車がやってきてしまった。 やばい、早く改札出よう。半分、人に流されながら改札へ続く階段を下りた。

今日は日曜日だから、親子連れが多い。まだまだ元気が有り余っててはしゃぐ子供もいれば、 遊び疲れて眠ってしまい、お父さんにおんぶされている子供もいる。いいなあ、子供は。
子供を眺めていると、視界に見たことあるような人が入った。 気のせいだと思いたかった。だけど気のせいではなかった。 向かい側のの階段から下りてくる人の中に、横山君がいる。 私服姿だからよくわからなかったけれど、あれは横山君にちがいない。 あの髪型、顔、背丈、それに肩からかけてるバッグ。あのバッグはいつも教室でみかけていたものだ。
横山君は私に気付くことなく、階段を下りて改札の方へ歩いて行く。 私もやっと階段を下りることができて、人にまぎれながら改札へ向かった。

改札を出た駅前の信号のところに横山君は居た。 変わるのが遅い赤信号を待つ人の列は徐々に増えていき、前の方にいる横山君とは離れて私は後ろの方で待った。
夏休み中に姿が見れたってことはすごく嬉しいけれど、いざ会うとなるとどうしていいかわからない。 横山君に気付かれたところで、何を喋っていいのかもわからないし、街中でクラスメイトと会うというのは結構きまずいものだ。 横山君に嫌な顔されたくないし、話かける勇気もないし、このまま気付かれずに帰るのがベストだよね…。

「あの、すみません」
「え?」

横山君の後姿を見ながら信号を待っていると、突然、お姉さんに声をかけられた。 大学生くらいの年上の人で、右手に一枚のメモ用紙と携帯電話を持っていた。 見覚えはないし、変なキャッチセールとかだったら嫌だなあという私の考えを読み取ったかのように、 お姉さんは困った表情で笑い、怪しい人じゃないから、と言った。気さくそうな雰囲気に、私の不安は消えていった。

「この名前のカフェ知らないかな。友達と待ち合わせしてるんだけど、携帯の充電切れちゃってさ」

正方形のメモ用紙の真ん中にボールペンでカフェの名前が書かれていた。 電話中にメモしたのか、待ち合わせ時刻も一緒に殴り書きのような感じで書かれていた。

「このカフェなら、反対の東口を出て正面の信号渡った所にありますよ」
「東? え、やだ、私すごいバカじゃん」

いくら探してもないわけだ、とお姉さんが笑いながら言うから、つられて私も笑ってしまった。 そして、ごめんねとありがとうを言うと、駅の構内を通り東口へ走って行った。
お姉さんを見届けたのと同時に信号が青になって、周りに居た人達がゆっくりと動き始める。 私も早く渡らなきゃ。前を向いて一歩足を前に出した瞬間、私の身体が固まった。
前を向いて既に歩き始めているはずの横山君が、振り向いてこっちを見ていた。そしてばっちり目が合ってしまった。 とくに驚いた様子も無く、いつもの表情でじっとこちらを見ている。

「こ、こんにちは…」

横山君が何も言わないから、私はとりあえず挨拶をした。 口から出た弱々しい挨拶は、この人込みの中じゃ聞こえなかったんじゃないかと思ったけれど、 横山君が会釈をしてこたえてくれた。 そして何も言わずに前を向き、歩き始めてしまった。
なんで気付かれたのだろう…あ、お姉さんと喋ってたときの声が聞こえたのか。 大きい声で喋っていたわけではないんだけどな…。 でも、さっきの挨拶も聞こえたくらいだし、横山君は耳がいいのかもしれない。
考えているうちに信号が点滅し始め、私は慌てて横断歩道を渡った。

無事に信号を渡り終えて、いつも通る帰り道を歩き始めたはいいものの、前を歩く横山君が気になって仕方がない。 決して後をつけているわけではないのに、ストーカーのような気分で嫌だ。 追い越すのもおかしいし、隣を歩くなんてもってのほか。
横山君が次の交差点を曲がるのを祈ろう。もし曲がらなくても、私が曲がって、少し遠回りして帰ればいいんだし…。 それまで横山君が振り向きませんように。また振り向かれても今度はなんて話しかければいいのかわからない。 それにストーカーに間違われたら私の人生終わりだよ。どうか、振り向きませんように!

交差点まであと数歩だった。前を歩いていた横山君は赤信号で立ち止まっている。このまま直進するんだ。 よし、じゃあ右に曲がって、一つ隣の通りを行こう。 私が、ほっと胸を撫で下ろしていると、何を思ったのか、横山君が首をゆっくり動かして後ろを見た。 信号待ちで何で後ろ確認するの…驚いて足が止まった私は完璧にストーカーだよ。顔は半笑いだし。
横山君はやっぱり何も言わずに、私を見てる。なんだこいつ、とか思われてたらどうしよう…もう最悪だ。泣きたい。 半笑いも徐々に薄れてきて、本当に泣きそうな顔になってきて、もう何も言えなかった。 信号が青になったし、横山君を追い越して早く家に帰ろう。

「家、こっちなんだ」

私が追い越したと同時に、横山君が言った。話かけられるとは思っていなかったから吃驚して、答えるのに数秒かかってしまった。

「あ、うん…ここまっすぐ行ったところ」
「なんで制服着てんの?」
「高校の説明会で…」
「何高?」
「き、北高…なんだけど、高望みしすぎかな、って…はは」

追い越して家に帰るはずが、並んで一緒に歩いてしまってる。 こうやって話せるのはすっごく嬉しいけれど、緊張し過ぎて手と足が同時に出ないように注意しなければならないし、 知り合いに出くわしてしまったらどうしようと考えると、素直に喜べない。
会話が終わると横山君は黙ってしまった。今度は思い切って私から話しかけてみよう。 どこ行ってたの? …荷物や服装からしてサッカーの練習に決まってる。 旅行とか行った? …練習で忙しくてそれどころじゃないに決まってる。 受験勉強してる? …ああもう、どれも聞くまでも無いことばっかり! コミュニケーション力が不足し過ぎだ…うまく会話できない自分に嫌気がさす。

こっそり横山君を見上げてみれば彼はまっすぐ前を見てて、そのちょっと眠そうな目とか、すっと通った鼻筋とか、 風が吹いたときさらさら揺れる前髪とか、全てが私の胸を高鳴らせる。 もう絶対に忘れないほど、目に焼きついて離れない。

「じゃぁ、俺こっちだから」

気が付けば結構な距離を無言で歩いてしまっていた。 せっかくのチャンスだったのに、なんでもっといろいろ喋らなかったんだろう…あぁもう自分のバカ!

「じゃ、じゃぁまた新学期にね」
「ん。勉強頑張って」
「うん、頑張ります…」
さんなら大丈夫だと思うけど、北高」

横山君は口元だけで小さく笑い、私に背を向けて歩き出す。
まさか横山君にこんなこと言ってもらえるなんて思ってもいなかったから、 私はしばらく立ち尽くしてしまった。 そしてじわりじわりと心の底から"嬉しい"という感情があふれ出てきて、 自然と顔に笑みが浮かび、心がぎゅーっとつかまれたような感覚になる。 両親や友達よりも、横山君が言ってくれたということがすごく嬉しかった。

「ありがとう」

思わず大声で叫んでしまいそうになったけど、できるだけ抑えた音量で言った。 横山君は立ち止まらずに歩いているから、聞こえたかどうかわからないけれど。 頑張ろう。受かってちゃんと報告できるように、もっともっと頑張らないと。





*





「おはよ!」

九月一日。久しぶりに足を踏み入れた教室で、真っ先に挨拶してくれたのは友人だった。 日に焼けて小麦色になった肌を見て、夏を満喫してたんだなあと一目で分かった。 聞いてみるとやっぱり家族旅行で海やキャンプに行ったらしく、お土産にお菓子やキーホルダーをくれた。

、ぜんぜん日焼けしてないじゃん」
「だってほとんど家で勉強してたし…」
「うわー、偉い! じゃぁご褒美にコレもあげよう」

友人が笑って差し出したのは、海で拾ったらしき変な形の貝殻。 受け取るのを拒否したにも関わらず、強引に私の制服のポケットに押し込もうとするのを必死で抵抗していると、 登校してきたばかりの他の友人達が笑いながら集まってくる。 みんなもどこか出かけたらしく、地域限定のお菓子などをくれたから、私の鞄はお土産でいっぱいになってしまった。 どさくさに紛れて貝殻を入れようとしたのを見つけて、それを慌てて阻止した。

「ねえ、今日席替えするかな?」
「席替えしたい! 私もうあの席いやだー、めっちゃ当てられんだもん」
「私も! 先生に言ってみよ、席替えしたいって」

席替え…そうだ、忘れてた。思い出してみれば一年生と二年生の時も、二学期の最初は席替えをしていた。 卒業までこの席でいられるわけないんだった…なに勘違いしてんだろ、私。

「私、の今の席がいいなあ。窓際の後ろって最高じゃん」
「いいよねー、私も窓際の後ろ当たんないかなあ」

友人達の会話が右耳から左耳に抜けていって頭に入ってこなくて、 とりあえず笑って曖昧に返事をするしかなかった。 あの席に座るのも、今日で最後になってしまうんじゃないかと思うとすごくショックで気が塞ぎ込む。

「おー、平馬! 久しぶり!」
「わ、お前焼けたなー」

声のした方を反射的に見ると、男子達が横山君に駆け寄っていた。 確かに横山君は、夏休み中に会ったときよりも焼けていて雰囲気が少し変わっていた。
チャイムが鳴り、みんなが席に着くと先生が教室に入ってきて号令がかかる。 そして出席をとり終えると、この後すぐ始業式だから、と体育館へ移動するように言った。 夏休みの思い出を楽しそうに話している友人達の会話が遠くの方で聞こえる。 私の頭の中は席替えのことでいっぱいだった。 できることなら、席替えなんてしたくない。



「先生、席替えしたいです!」

始業式が終わり教室に戻ってHRが始まったとき、男子が手をあげて言った。 それに続いて友人達も賛成の意向を示した。

「席替えは最後だ。先に宿題を集めるから、出席番号順に提出しろ」

先生がそう言うと、教室内がざわつきはじめた。 席替えすることに喜ぶ人や、宿題を忘れて慌ててる人の声が聞こえる。 やっぱり今日中に席替えするんだ…やだなあ。 宿題集めて先生が喋ってさっさと解散すればいいのに。

私の思いとは裏腹に学級委員が席替えの準備を始めていく。 要らないプリントを切ってクジを作り、黒板に座席表を描いて机に見立てた四角の中を適当な番号で埋めていく。 クジは廊下側の先頭の人と、窓側の最後の人…つまり横山君がジャンケンをして、 勝った先頭の人から順番に引いていくことになった。 負けた横山君は、また余り物か、と呟いていたけれど、あまり悔しそうにはしていなかった。 横山君自身、席替えにあまり興味がないように見える。
最後の横山君が引くまで、クジを開くのを学級委員が禁止にしたから、先に引いた人達は開封が待ちきれなくて まだ引いてない人達を急かし始めた。
ついに私の番になってしまった。手を入れた箱の中にあるクジは二つ。私と横山君の分だけだ。 神様、お願いします。勉強頑張るし、体育もちゃんとやるから、どうか横山君の近くの席にしてください。 くしゃり、と右にあったクジを握った。
横山君が箱に残った最後のクジを引いて席に戻ると、学級委員が許可を出して、みんないっせいにクジを開いた。

「うわ! 一番前かよ!」
「やったー窓際だ!」

周りが騒ぎ始める中で、私は深呼吸をしてまだ握ったままのクジをゆっくりと開いた。 鉛筆で書かれた数字は"10"だった。 黒板の座席表を見てみると、廊下側の一番後ろの席に"10"と書かれていた。

「平馬、何番だった?」

丁度いいタイミングで男子が聞いた。

「23」
「マジ? おまえの後ろだ、俺」

後ろで会話が続く中、私は必死で"23"を探した。廊下側の列には無い。その隣の列にも無い。 やっと見つけたと思ったら、そのまた隣の列の前から三番目のところだった。教室のちょうど真ん中の場所。
願いが通じず、離れてしまった。なんで、どうして。

「机を新しい席に移動してくださーい」

学級委員の間延びした声が聞こえる。 ガーガーと机を引きずる音が教室中に響いても、私はうわの空だった。 まさか本当に離れてしまうなんて…席が離れてしまったら、もう会話することが無くなってしまうかもしれない。 今までだって、席が近くなければ横山君と会話することなんて無かったんだし。
地獄の底に突き落とされたような気分で、半分死にかけた状態で机を移動させようとすると、 肩を軽く二回叩かれた。振り向いてみると横山君が握った手を差し出していた。

「え…なに?」
「手」

言われて手を出してみると、手のひらの上に個々に包まれた小さなお菓子を三つ置かれた。お土産…?  チョコか飴か、そんなことよりも何故くれたのか気になって横山君を見ると、 何も言わずに机を移動させ始めてしまい、呼び止める声は机を引きずる音にかき消されて届かなかった。
これは勝手な妄想にすぎないかもしれないけれど、落ち込んでる私に元気出せよっていう意味でくれたのなら嬉しい。 ほんとに都合のいい妄想だ。そんなわけない。ただ余ってたのをくれただけで、意味なんて無いんだ、きっと。

、そこ俺の席なんだけど」
「あ、ごめん」

机を引きずってやってきた男子に謝って、貰ったお菓子をポケットへ入れると、自分の机も新しい席へ移動させた。

「え、ここなの? やった!」

私の新しい席の前は友人の席だった。 横山君とは離れてしまったけれど、これは唯一の救いに思えた。

「なんか嬉しそうだね。私の近くでそんなに嬉しい?」
「べーつにー」
「うわ、何その態度! そんな冷たい人には優しくなれるお守りをあげるよ」

友人はまたあの変な形の貝殻を取り出して、私のポケットへ押し込もうとした。

「やだやだ、ちょっとほんとやめてよ!」
「遠慮しなくてよろしい!」

お互い笑いながら攻防する。 だけどポケットの中には大切なお菓子が入っているんだから、何としてでもこれは阻止しなければ。

残暑 2005.10.08 | 表紙