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真上から照りつける太陽に、ただでさえ無い体力はどんどんと奪われていく。もう限界だ、溶ける。
日傘も帽子もなく、黒い頭のてっぺんは脳みそが沸騰するんじゃないかと思ってしまうほど熱くなっている。 今ならきっと、頭の上で目玉焼きが作れる。実践してみようという勇気と生卵は持ち合わせていないけれど。

「やっぱり家でおとなしくしてるんだった…」

暑さに項垂れて地面に向かって呟いた言葉は、近距離で鳴くセミの鳴き声によってかき消された。
足取りが重い。素足とサンダルの間が蒸れて汗で気持ち悪くて、一秒でも早く脱ぎたい衝動に駆られる。 でもサンダルを脱いで裸足で歩くわけにもいかず、溢れそうな気持ちをぐっと堪えた。 日の光をさえぎる物が何もないコンクリートの道路は、たぶん私の頭くらいか、それ以上に熱いだろう。

「他の日にしたって、大差ないだろ…最近ずっとこんな天気だし」

一歩前を歩く平馬が、目の上に手をかざして空を見上げ、眩しさに目を細める。
季節を関係なく外に居ることが多い平馬でも、このうだるような暑さに少し参っているように見える。 平馬も帽子は被ってなくて、たぶん私と同じくらい頭のてっぺんが暑くなっていると思う。

「平馬」
「んー」
「家まで距離あるし、どっかで休憩しようよ…このままじゃ共倒れだよ」

立ち止まり振り返った平馬に、ふらふらとした足取りで体力の限界をアピールする。 わざわざアピールしなくても、さっきから足取りは危うかったと思う。
平馬は額から瞼に流れてきた汗を手で拭いながら、溜息混じりに「そうだな」と言った。

真夏日に雲ひとつない快晴な空の下をとぼとぼ歩くなんて自殺行為だ。と、私は思う。 でも、とぼとぼ歩く他ないのだ。 いくら早く帰りたいと思ってもこの暑さの中で全力疾走する元気など1ミリも残っていない。 だから家につくまで、とぼとぼ歩く。項垂れてとぼとぼ歩く姿はさながらゾンビだ。 そのうち地面に這いつくばって移動するんじゃないかと、自分で想像しておきながらゾッとした。
暑さで頭もだいぶおかしくなってきてる。周りの見慣れた地元の景色が、今は砂漠に見える。

「平馬、私ラクダに乗りたい」
「乗りたいって言われて用意できるもんじゃないから」

平馬の冷静なツッコミに、目の前の景色が砂漠から住宅街へと戻った。 こんなことなら自転車に乗ってくれば良かった、と思っても後悔先に立たず。
家から図書館までの距離は、歩くにしてはちょっと遠くて、だからといってお金を払ってバスに乗るのは気が引けるという、 なんとも微妙な場所にある。 歩いて行った方がゆっくり話せるからいいや、という浅はかな考えをしていた自分に呆れた。 平馬の家は私の家と図書館の中間の辺りにあるから、徒歩で行くことにすんなりと同意してくれたのだけど、 今更になってなんだか申し訳ない気持ちになった。

「ごめん…徒歩で行くとか言い出して」
「別に俺はどっちでも良かったから、謝んなくていい」

平馬の言葉に棘はなかった。優しいな…私が逆の立場だったらこんな返答できないだろう。

「夏休みなのに、全然楽しくないね。お祭行きたい、お祭」
「宿題終わったらな」
「宿題終わる頃には、お祭も終わってるよ…」

はぁ、夏休みの残りの日数と宿題の量を考えると遊びほうけてる時間などなさそうだ。 今日は自由研究の資料集めのため図書館まで足を運んだのだけれど、 何時間も図書館にいたわりには、行き詰まってしまい宿題は少ししか進まなかった。 二人でやれば早く片付くかもしれない、と平馬の用事の無い日に合わせたのに これじゃあ二人でやった意味も無いに等しい。 平馬はサッカーもあって忙しいのにこんなペースで間に合うんだろうか。

「ほんとに宿題終わるのかな…」
「終わらせるしかないだろ」
「はい、頑張ります」

何だか先生と会話してるようで思わず反省してしまった。
ちょっと休憩したらその後は平馬の家で宿題を片付けなくてはならない。 今日だけでいくつ片付けることが出来るかは、自分の頑張り次第だけど、結局なんだかんだで31日まで 慌しい日々を送ることになりそうだ。 宿題のことを考えるとどんどん気分が重くなるから、家に着くまで宿題のことは忘れることにしよう。

少し歩くと、小さな商店を見つけた。 いつもは通り過ぎるだけで中に入ったことはないけれど、通り過ぎに覗くといつもおばあちゃんが一人、ぽつんと店番をしている。 一つ隣の通りに行けばコンビニやスーパーが立ち並ぶ街の中で、 色褪せた看板を掲げこじんまりと佇むこの商店は、ここだけ時が止まっているかのように思えた。

「平馬、ここでアイス買おう」

商店の外に置いてあるアイスクリームのショーケースを指差して言った。 その少し錆びているショーケースを見ると何だか懐かしい気持ちになった。 見た目は古びているけれど、中のアイスの品質には問題は無いだろう。
ショーケースに近付き中を覗き込んで見ると、小さな頃からよく見かける定番のアイスが陳列されていた。 CMでやっているような新製品のアイスはないけれど、私が欲しいのはそれじゃない。 ガラスの蓋を開いて、手を入れるとひんやりとした空気が手や顔に触れた。真夏にこの冷たさは心地いい。 そして、丁度真ん中に綺麗に重ねて陳列されている色とりどりのアイスの中から、 一際目を引くピンクのものを手に取った。真ん中にバニラアイスが入った苺のカキ氷。 何度も食べても飽きない、大好きなアイスだ。

「私これにする! 平馬は?」

隣でケースを覗き込んでいた平馬に尋ねると「みぞれ」と短い返事をした。 やっぱり夏はカキ氷だよね、なんて言いながら私はまたケースに手を入れて、 苺の横に置いてあるみぞれのカキ氷を手に取った。 カキ氷を持つ私の両手は、さっきまでの暑さが嘘のように冷え切っている。 けれど、冷たさが心地いいからといって長時間持っていたら早々に溶けてしまう。

カキ氷を重ねて片手に持ち、商店の引き戸を開けた。この戸も、自動ドアじゃないところがまた良いと思う。
引き戸がガラガラと音を立てると、それに気が付いたおばあちゃんがこちらを見る。 目が合ったので「こんにちは」と挨拶をすると、おばあちゃんも微笑みながらゆっくりと「はい、こんにちは」と返してくれた。 柔らかい物腰のおばあちゃんからは、優しい雰囲気が伝わってくる。
私は手にしたカキ氷をおばあちゃんの前に置き、平馬はお店の奥の冷蔵庫からスポーツドリンクを二本手にして戻ってきた。 平馬が「これでいい?」と私に確認をとったから、一本は私の分だろう。

「すごい汗だねぇ。歩いて来たのかい?」

おばあちゃんがゆっくりとした動作でレジを打ちながら聞いた。 私達はそれに頷いて答える。
商店の中は、扇風機が一台置いてあるだけで、外の気温とそれほど差は無い。 だけどおばあちゃんは暑さに慣れているのか、私達ほど汗をかいてはいなかったし、暑そうには見えなかった。

「しっかり水分とらないと倒れるわよ」

細くてか弱そうだわ、と私を見ておばあちゃんが笑う。 確かに倒れそうだけど、細くもか弱くもない私はぶんぶん首を振って否定すると、おばあちゃんはまた笑った。
扇風機の風に揺られ、吊るされた風鈴が音を奏でる。本当にここだけ別空間のようだ。
お金を渡し商品を受け取ると、私達はお店を後にした。 店を出る際「またおいでね」と微笑むおばあちゃんに私は手を振り、平馬は小さく頭を下げて返事をした。

「優しそうなおばあちゃんで良かったね」
「どんな想像してたんだよ」
「頑固で怖そうなおばちゃん」

昔話の山姥みたいな、と言うと平馬は吹き出して笑った。

カキ氷が溶けてしまう前に足早に近くの公園へ向かった。 この炎天下で遊んでいる子供達は居らず、無人の公園はとても静かでセミの鳴き声だけが響いている。
日向のベンチは暑いから公園の隅にある東屋で休むことにする。 木の椅子に腰掛けると、疲れが一気に押し寄せてきた。

「あっちー。カキ氷溶けてないかな」
「ん、たぶん大丈夫」

平馬が袋からカキ氷を取り出す。それを受け取り、お店でもらった木のスプーンで溶けかけのカキ氷をすくう。 ちょっとすくい辛いけど、このスプーンを使って食べるのは久しぶりだったからなんか新鮮だ。

「くぅうっ、冷たくておいしい!」

一口食べると口の中に冷たさと苺の甘さが広がる。 この上ない幸せが私を包む。こんなことで幸せ感じるなんて私は安っちい人間かもしれない。

「やっぱり夏はカキ氷だよね」
「だな」
「みぞれおいしい?」
「食う?」
「やったーありがと」

カキ氷を差し出す平馬に、遠慮なく自分のスプーンで一口すくう。 透明のその氷を口に入れると、苺より少しさっぱりとした甘さが広がった。

「おいしー」

頬を押さえ、緩みきった笑みを浮かべる私を見て平馬が静かに笑う。 その表情を見て一瞬胸が高鳴る。 平馬は知らないだろう。その笑顔が夏の暑さよりも私を溶かすことを。

「平馬」

さっきまで気分は最悪だったのに、なんで今はこんなに幸せなんだろう。 自然と声がはずむ。感情を隠すなんて器用な真似は、私にはできないらしい。 呼ばれて振り向いた平馬を見て、えへへと気味の悪い声をあげる。

「どうした?」

暑さのあまり変になってしまったのかと、いぶかしげな顔をして平馬が聞く。

「好きだよ」

何の躊躇もなく口からこぼれた言葉。 気持ちを告げたのはこれが初めてではないけれど、時々私は自然と口にしてしまうことがある。 不安になって確かめるように言うのではなくて、ただ本当にそう思った時にしか言わない。 頭で考えるよりも先に、声が勝手に出てしまう。 そして平馬は、何度も聞いたその言葉に嫌な態度を見せることなく、決まって優しく微笑み返事をくれる。

「俺も」

けれど今回はそれだけではなかった。
、と名前を小さく呼ばれ自然と互いの距離が縮まる。 徐々に暗くなる視界に瞼を閉じれば、唇に生暖かい柔らかなものが触れる。 数秒しか触れなかったけど離れても確かに残る感触に、 私の頭の中は日射病になったときよりもぼーっとしていた。 だけど、ぐるぐるとする視界の中で、平馬の柔らかな表情だけはしっかりと見えていた。

「もういっかい」

幸せすぎて意識を失いそうなのに、平馬のTシャツを掴んで私はもう一度瞼を閉じた。

輪郭がぼやける恍惚 (10:平馬と夏休み) / 2008.04.03 | 戻る