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 人を見る目が無い。
 幼馴染に「好きな人ができた」とその人の名前を告げたところ、返ってきた言葉がそれだった。 自分にそんな自覚はない。私はあの人と出会った時、今まで出会った人の中で一番素敵だと思った。 十代前半にして、この先これ以上素敵な人とはめぐり合えないだろうとまで思っていた。
 こう思っていることを幼馴染に話すと「あの人のどこがいいのか全然わかんないよ!」と言われてしまった。 そしてまた「人を見る目が無いよ」と同じことを言われた。

「そんなことないよ。素敵だよ」

 好きな人のことを否定されて私は少々むっとしながら反論した。

「十代目のおっしゃる通りだ。お前、見る目ねえんだよ」

 獄寺君がうんうんと頷いてから私を睨みつける。

「獄寺君には聞いてないもん」
「んだとコラ。十代目が見る目ねえっつったらねえんだよ!」

 ねっ十代目、と獄寺君は眉間の皺を消しにこやかに笑いながら隣にいる私の幼馴染―ツナ君に声をかける。 声をかけられたツナ君はビクッと驚いてから「え、あぁ…うん」と苦笑混じりに頷いて 奈々さんお手製の甘い玉子焼きを口に運んだ。 ツナ君が頷いてすぐに獄寺君は「ほらみろ」といった様子で私をまた軽く睨みつける。 それに私は頬をふくらませて睨み返してから、購買で買ったタマゴサンドをほおばった。

「まーまー。メシ食ってる時にケンカすんなって」

 ピリピリとした空気が漂う私と獄寺君の間に、山本君の間延びした声が入り込む。 穏やかな雰囲気の山本君は「なっ」と微笑みながら、眉間に皺を寄せた私と獄寺君を交互に見る。 獄寺君は舌打ちをすると視線を外し、購買で人気のソーメンパンを食べた。 ソーメンパンはなかなか買えない代物だから少し羨ましかったけれど、悔しさと一緒に 口の中のタマゴサンドを飲み込んだ。 タマゴサンドだっておいしいんだから。でもやっぱりソーメンパンも気になるな……。
 パンのことを考えてるうちに、獄寺君と山本君が何やら言い合いを始めていた。 正しくは、獄寺君が山本君につっかかっているのだけど。
今度はツナ君が「二人とも止めなよ」とおどおどしながら止めに入る。 それに対して獄寺君が「止めないでください十代目! 今日こそ山本の奴にガツンと言ってやんねーと」とか わけのわからないことを言い始めた。
 座ったまま胸倉を掴まれている山本君は困ったように笑って「獄寺、カルシウム不足じゃね」と 本人は決して悪気があるわけではないのだけれど、火に油をそそぐようなことを言ってしまったがために 獄寺君はさらにヒートアップして怒鳴り始めた。 ツナ君はもう手に負えないと白目をむいてしまっている。

 青空の下、屋上でこうして四人で昼食を取るようになったのはつい最近のことだ。
 入学したての頃は、私とツナ君だけだった。 二人だけの静かなランチタイムは、獄寺君が転入してきたことによって変わった。
 獄寺君は転入初日にツナ君にケンカを売ったかと思えば、急にツナ君を「十代目」と呼び敬語で接するようになった。 そしてどんな時でもツナ君の傍を離れず「ボンゴレ十代目の右腕は俺だ」とちんぷんかんぷんなことを言い出し、 ツナ君の右隣をいつも陣取っている。 右腕って常に右側にいなきゃいけないものなのかと疑問に思うけど、あえてそこはつっこまないでおこう。
 そしてクラスの人気者・山本君がクラスの嫌われ者であったツナ君と仲良くなったのには、 山本君の自殺未遂がきっかけという喜ぶに喜べない事件があったからだ。 あれがドッキリだったのか本気だったのか私は知らない。 でもまぁ結果的に良い方向へ進んで行ってるから喜んでもいいのだろう。
 そんなこんなで二人が三人に、三人が四人にとなって騒がしいランチタイムを迎えることになった。 騒がしい原因は獄寺君にあるのだけれど、本人は全く自覚が無いから困ったものだ。 山本君もことあるごとに獄寺君につっかかられて可哀想だ。 山本君は慣れてしまったのか、あまり気にしてない様子だけど。大人だな。 ツナ君はというと薄っすらと目に涙を浮かべながら小声で獄寺君に止めるように促しているが、 その声は獄寺君の怒号にかき消されて耳に届くことはなかった。
 私はその状況に少々呆れ、紙パックの烏龍茶を飲み干してから再び獄寺君を見た。

「獄寺君、いい加減にしないとツナ君が怒るよ」

 はっきりとした声でそう告げると、獄寺君はピタリと止まりツナ君の方を見ると、 山本君の胸倉を掴んでいた手を離し姿勢を正した。

「今日は十代目に免じて見逃してやらぁ」

 ちらりと山本君を見て獄寺君が吐き捨てると、山本君は「ツナ、あんがとなー」と豪快に笑い、 何事もなかったかのように再び昼食を取り始めた。 ツナ君もとりあえず争いが治まったことにホッとして、再びお弁当に手を付けた。

「ねえ、本当に見る目ないのかなぁ?」

 くどいようだが話をまた振り出しに戻し、今度は隣に座る山本君に聞いてみる。 牛乳を飲んでいた山本君は「んー」と少し考えたあと困ったように笑ってみせた。

「俺らアイツに良い印象持ってねーからな」

 山本君がそう言うと、ツナ君は何度も頷き、獄寺君は思い出しただけで腹が立つと 手にしたペットボトルを握りつぶした。 ツナ君達がどんな目に遭ったのかは詳しく知らないから何とも言えないけれど、 私の記憶の中にいるあの人は、それほど悪い人には見えない。 評判はまぁ……あまりいい噂は聞かないけれど。やっぱり私が変なのかな。

「そんなことねーぞ」
「わっ、リボーン君!」
「ちゃおっス」

 突如、山本君の肩の上にリボーン君が現れた。
 中学に入学してからしばらくしてツナ君の家庭教師として現れた彼の正体は未だ謎に包まれている。 自称、イタリアからやってきたマフィアとのことだが、赤ん坊がマフィアというのは信じ難い。 そして日本へ単独やって来た目的は、ボンゴレファミリーの十代目ボスに相応しい人間に教育するため、 という理解に苦しむものだった。 でも事実、マフィアで家庭教師のリボーンという赤ん坊が存在してるのだから、この状況を信じざるを得ない。 まぁ物事は深く考えちゃいけないってお祖母ちゃんが昔言ってたような気がするから良いとうしよう。

「ちゃおっス! ……って、話聞いてたの?」
は見る目あるぞ。俺もアイツに目付けてたとこだからな」
「え?」
「ツナ、アイツは獄寺や山本と同じファミリー候補なんだからな」

 リボーン君の言葉に、ツナ君と獄寺君が声をそろえて驚き、異論を唱えた。

「何言ってんだよリボーン! 無理だってそんなこと!」
「そうっスよ! ボンゴレにアイツを入れるなんて……」
「ファミリーには必要な存在だぞ。俺の目に狂いはねえ」

 大きくて丸いリボーン君の瞳がキラリと光る。 赤ん坊なのになんて迫力と存在感だ。 異論を唱えていたツナ君と獄寺君はリボーン君に逆らうことなく、 納得のいかない表情のまま黙り込んでしまった。
 リボーン君の言うファミリーとやらに、あの人が加わることを想像してみたけど 違和感が拭えない感じがするのは確かだった。 あの人には独りが似合う。
 私はゴミをまとめて立ち上がり、スカートの土埃をほろった。 気持ちの良いほど青い空に向かってぐっと身体を伸ばし息を吐く。 今日は久々に快晴だ。

、もう戻んの?」

 ツナ君が顔を上げて問う。

「うん。私のことは気にせずごゆっくり。またね、リボーン君」

 笑って手を振ると、リボーン君は「ちゃおちゃお」と手を振り返してくれた。 ちょっと不思議なところもあるけど、やっぱり可愛いなぁ、リボーン君。

 屋上を出て、ゴミを捨てるために一番近い購買へと向かう。 昼食の争奪戦が終わった購買近くは静けさを取り戻していた。 明日はソーメンパン買ってみようかな。でもあれ人気あるけどおいしいのかな……。 食べたことのある獄寺君に聞けば早いだろうけど、獄寺君、私がツナ君の幼馴染なのが 気に食わないのかいつも素っ気無い態度だから聞きづらいなぁ。 ツナ君経由だと即答だろうな、きっと。……うぅ、なんか悔しいぞ。

「あ!」

 ゴミ箱が近づいてきたから顔を上げて見ると、視界に黒いものが飛び込んできた。 それは角を曲がりこちらへ歩いてくる。 黒い学ランをマントのように翻し、辺りに威風を漂わせながら歩く姿は私をいつも恍惚とさせた。
 素早くゴミを捨て、それほど乱れてもいない身形を整えなおし、深呼吸してから私はこちらへ歩いてくる人物に近寄った。

「こんにちは、雲雀さん」

 挨拶は元気よくはきはきと。小学校に入学してすぐ教えられたことを私は守り続けている。 馬鹿みたいに守り続けているけど、悪いことなど一つもない。 むしろこれのおかげで、私は雲雀さんに顔を覚えてもらえた。 自己紹介もしたけれど、名前を呼ばれることは無いから覚えてもらっているかはわからない。

「やあ」

 たった一言だけど、顔を上げて私を見て雲雀さんは言った。 近くを通った男子生徒が怯えた表情で雲雀さんと私を見る。 傍から見たら私は恐いもの知らずのとんでもない奴だろう。
 並森中風紀委員長である雲雀恭弥は誰もが一目置く存在である。 風紀委員長でありながら並森の不良の頂点に立つ雲雀さんは、 天上天下唯我独尊、狷介孤高、一匹狼。そんな言葉が似合うかもしれない。 群れることを嫌い、単独行動を好む。 気に入らない相手がいれば問答無用でトンファーで滅多打ち。 口癖は「咬み殺す」。 私が中学に入学してから友人に教えてもらった雲雀さんの情報はこれだった。
 でも実際話してみると、とても悪い人には見えない。 ツナ君達は雲雀さんと悶着を起こしたらしいけれど、私はその場にいなかったから詳しいことは知らない (事情を聞いたけれど獄寺君が「思い出したくもねえ」と言って教えてくれなかった)。

「昼食はとりましたか?」
「もう食べたよ」
「そうですか」

 つかつかと歩く雲雀さんの隣で、私は顔がにやけるのを必死に抑えていた。 こんな短くて何でもない会話でも、雲雀さんが相手だと嬉しくて仕方がない。

「何を食べたんですか?」
「パンだよ」
「私も今日はパンだったんです。同じですね」
「そうだね」

 たぶん応接室へ向かっているだろう雲雀さんの隣を、にやけながら歩く私の姿は なんとも不自然で気味が悪いだろう。 雲雀さんはずっと前を向いているから、今の私のしまりの無い顔を見られることはない。

「雲雀さん、ソーメンパンって食べたことありますか?」
「知らないな」
「購買で一番人気あるんですよ。私はまだ食べてないんですけど……」
「そう」

 質問してから思ったけれど、ソーメンパンと雲雀さんはミスマッチすぎておかしい。 雲雀さんはあんな得体の知れないパンなんて食べないんだろうな。 もっとこう、おしゃれで優雅な……英国のティータイムみたいな感じ。って、どんなだ。

「あ……ボタン」

 不意になびく学ランの袖口のボタンが目に入った。 不自然に並ぶ三つの金色のボタン。ちょうどボタン一つ分のスペースが空いている。

「袖のボタン、無くしちゃったんですか?」

 私が言うと、雲雀さんは「あるよ」とポケットからボタンを取り出して見せた。

「取れちゃったんですか」
「昨日、群れていた草食動物の一人に引き千切られてね。グチャグチャに咬み殺してやったよ」

 嫌なことを思い出して雲雀さんは眉をひそめる。 静かな声の中には少なからず怒りが含まれていた。

「よかったら付けましょうか? ボタン」
「できるのかい」
「はい。教室に裁縫道具あるので取って来ますね」

 いってきます、と声をかけ一旦雲雀さんと別れた。 雲雀さんの居る前で廊下を走るわけにもいかないから、競歩のように早足で教室へ向かう。
 教室に戻りロッカーに置いてある裁縫箱を抱え廊下に出ると、昼食を食べ終えたツナ君達と鉢合わせた。

「あれ? 次って家庭科だっけ?」

 ツナ君が裁縫箱に目をむけ私に聞いた。それにふるふると首を振って答える。

「ううん、次は数学だよ」
「じゃあそれ持ってどこ行くの?」
「ふふっ、応接室!」
「ええ!?」

 驚くツナ君達を尻目に私は「じゃーね」と声をかけて応接室へ向かった。 後ろで獄寺君が「俺は助けに行かねーからな!」と叫んでたけど助けなんて求めてはいない。 っていうか獄寺君が想像しているようなことは起きないと思う。 雲雀さんはいい人だもん。


「失礼します」

 ノックをしてゆっくりと応接室のドアを開く。 雲雀さんは中央の椅子に腰掛け何かの書類に目を通している。 学ランはテーブル傍のソファーに掛けられていた。 シャツ姿の雲雀さんを見るのは新鮮で、一瞬胸がきゅっと締め付けられた。

「昼休みが終わるまでには出来るんだろう?」

 雲雀さんが書類に目を向けたまま問う。

「はい! 5分もかかりませんよ」

 私は早速テーブルに裁縫箱を置き、ボタン付けに取り掛かった。 普段は触れることの無い雲雀さんの学ラン……ちょっと緊張してしまう。 そういえば、学ランに触れるのは初めてかもしれない。 この学校はブレザーだし、男の子の制服に触れる機会なんて滅多にないし。

「学ランって素敵ですよね。ブレザーより好きです」
「僕もそう思うよ」
「でも、雲雀さんがブレザー着てるところも見てみたいなぁ……なんて」
「それは無いね」

 私のささやかな願望はあっさりと切り捨てられてしまった。 雲雀さんがブレザー着ても似合うと思うんだけどなぁ…… でもやっぱり、雲雀さんには学ランの黒が1番しっくりくるのかな。
 ボタンの縫い付けは失敗することなくスムーズに終わった。 手元から離して見てみても曲がってないし、不自然な部分は無い。 針と糸を裁縫箱にしまいながら、時計に目を向ける。昼休みが終わるまでまだ数分あった。

「雲雀さん、終わりましたよ」

 学ランを持ち、雲雀さんの居る机の傍に立つ。 雲雀さんは相変わらず書類に目を向けたままで、並森中風紀委員と刻印の入った鉛筆でサインを書いてゆく。 シャープペンじゃなくて鉛筆っていうところも、古風でまたいいと思う。 クラスで鉛筆使ってる人ってあんまり居なかった気もするし…。
 作業に集中する雲雀さんの横顔は相変わらず素敵だった。長めの前髪の向こうに見える、釣り目がちな瞳。 すっと通った鼻筋に、薄く形の整った唇。見入ってしまうほど素敵な顔立ちだ。 雲雀さんのことを好きになったきっかけはこの顔立ちってわけでは無いのだけれど、 普段のクールでかっこいい振る舞いとこの顔立ちははっきり言って反則だと思う。 目が離せないほど、私は雲雀さんに引き込まれていく。 もっともっと雲雀さんを知りたい。近くにいきたい。私のこと見てほしい。

「雲雀さん、私、雲雀さんがス」

 キです、と続けた言葉は突然したけたたましい音にかき消されてしまった。 ハッと我に返り雲雀さんを見てみると、持っていた鉛筆を自動鉛筆削りに差し込んでいるところだった。 ガガガガと音を立てて削られていく鉛筆。その鉛筆一本に、私の思い切った告白はかき消されてしまった。

「何か言ったかい?」

 鉛筆を引き抜き削り具合を確認しながら雲雀さんが問う。

「いえ、あ、その鉛筆カッコイイなぁって思って!刻印入りで」
「これは風紀委員専用だからね。といっても僕しか使ってないけど」
「そうなんですか……あ、ボタンつけ終わりましたよ」
「ワオ。仕事が速いね」

 雲雀さんは私から学ランを受け取り、ボタンを確認する。

「うん、いいよ。合格」
「よかった」

 ほっと胸を撫で下ろし、一呼吸つく。告白はもう無かったことにしよう。 それにしても、鉛筆削りに告白を台無しにされるとは……予想外だ。
 と、ここでちょうどいいタイミングで予鈴が鳴る。

「じゃあ教室に戻りますね。失礼しました」

 裁縫箱を抱え、応接室のドアに手をかける。

「ちょっと待って」
「へ? ほげっ!」

 振り返った瞬間、額に衝撃と小さな痛みが走った。 そしてカランコロンと音を立てて足元に何かが転がる。

「お礼にそれあげるよ」

 まだ痛みの残る額をさすりながら、転がっている物を拾い上げる。まだ削られていない未使用の鉛筆だ。

「え、鉛筆……?」
「キミは風紀委員じゃないけど、特別にね」

 特別にね特別に特別……頭の中で雲雀さんの声がエコーする。特別。雲雀さんの、特別。

「ありがとうございます! 大切にします!」

 痛みなど忘れ、私は鉛筆をぎゅっと握り締めお礼を言った。嬉しくってたまらない。特別の証なんだ、これは。


 スキップをしながら教室に戻り、じゃじゃーんっとツナ君に鉛筆を見せびらかすと「なにしてきたのー!?」となぜか白目になってしまった。 うふふ、とこれ以上無いご機嫌な笑顔で居ると山本君は「ハハハ、デコから血出てんぞー」と笑いながら言った。 そして獄寺君が「お前末期だな」とか呟いてたけど幸せな私の耳にはそんな言葉は届かなかった。
ひとりぼっちの黒を愛した / 2007.10.26
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