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「で、誰だっけ。俺に嘘吐いたの」

風が彼の柔らかそうな髪の毛を揺らして、隠れていた額には日があたって光っている汗が見えた。 手に持ったタオルで流れてくる汗を拭き取りながら笑顔で話すその姿はとても爽やかで、 これじゃぁ周りに騒ぐ子達が居ても当然だ、と改めて認識する。 君がかっこ良くてサッカー上手くて凄い人だってことは認めるよ。 だから、笑いながら怒るのはやめてください。

「こ、怖いんですけど、椎名先輩…」
「今更になって"先輩"とか言わないでくれる?」

椎名はまだにこにこと笑っている。だけど目だけは笑っていなかった。 その大きくてぱっちりとした目に見つめられたら、赤面して心臓が口から飛び出てもおかしくないけれど、 今は顔が青くなって心臓は停止してしまいそうなほど恐ろしかった。 椎名の隣に居る黒川や畑はその目を直視していないものの、部外者は話に入って来るなという椎名のオーラを 感じてか、誰も椎名を止めることは出来ずにいる。

が椎名に対して嘘を吐いたというのは本当だった。 前半が終了したところで「すぐもどる」と言い残してその場を離れて、戻ってきたのが試合終了後。 約1時間後に戻ってくるのは「すぐ」と言わないことはにも分かっていた。

「でもさ、別に私が居なくても問題無いじゃない」
「問題大有り。お前が居ないと騒ぐ奴が居んの」
「放っとけば良いじゃん」
「…とにかく次で最後なんだから、ちゃんと座って観てろよな」

小さな溜め息をひとつついて、の頭を2・3度、乱暴に撫でてこの場を離れた。
はぐしゃぐしゃにされた髪の毛を手ぐしで直しながら椎名の後ろ姿を見ていると 黒川が肩を震わせて笑っていることに気が付いて、自分が笑われているのかと思い軽く睨む。
すると黒川がの視線に気付いて、笑いを堪えながらも「悪ィ」と一言謝った。

「あぁ言ってるけど、1番のこと気にしてたの翼だぜ」
「そうなの?ヤだなぁ、椎名の標的なんて」
「標的か…まぁ、ある意味そうだけど」

そう言い残して黒川は畑と共に椎名の後を追って行ってしまった。 攻撃目的の標的だと考えていたは黒川の言葉に疑問を持ちつつも、追いかけて言葉の意味を聞くのも 面倒だと思い、追いかけることは無かった。

選手達が昼食を取りに施設内へと戻っていく中、
はケースケ達を探すために関西選抜の試合が行われていた方向へ歩き出した。 もしかしたらもう食堂へ行ってしまっているかもしれないと思ったが、探すだけ探してみようと辺りを見渡すが 彼等の姿は見つからず、諦めて自分も食堂へ行こうと方向転換した瞬間、 勢いよく顔に何かが当たり、転びはしなかったものの少し後ろへよろけてしまった。
赤くなっているであろう自分の鼻をさすりながら前を良く見ると、どうやらぶつかったのは人間のようで 顔を空を見上げるようにしないと相手の顔を見ることが出来なかった。 目の前の人物は心配そうな顔での顔を見つめたあと、赤くなった鼻を見て小さく笑った。

「人の顔見て笑うなんて失礼なんですけど」
「すみません…大丈夫ですか?」

笑いを堪えながら謝られても普通は許す気にはなれないが、 相手が須釜だった為、はそれ以上責めることを止めた。

「何か用?」
「昼食、みんなで一緒にどうですか?」
「みんなって、ケースケ達? 私もそう思ってたとこなんだけど、見つからなくて」
「きっともう食堂に行ってると思いますよ。僕達も行きましょうか」

顔を見てにっこり微笑まれても、まだ鼻のことを笑われているんじゃないかと思って の眉間にはうっすらと皺が寄ったが、何も言わずに須釜の後をついて歩いた。





相変わらず食堂は混雑していて人を探すのは困難な状況だったけれど、背の高い須釜には それは関係なくて、食堂の奥のテーブルでケースケ達が座っているのをすぐに見つけることが出来た。
そして自分達の食事を持って食堂の奥へと進む途中のテーブルで、毎度お馴染みの3人組を見つけて足が止まる。
周りが騒がしくて何を話しているのか聞こえないけれど、真田が真剣に2人に向かって喋っているのを見て、 前を歩く須釜に先に行っているように声をかけた後、座っている真田の背後に近寄って声をかけた。

「秘密会議中ですか?」
「うわ!」

突然背後から話しかけられたら驚くのが普通の人間というものだけど、真田の驚き方は少しオーバーにも思えた。 その様子を見た左隣に座っていた若菜は笑い出して、右隣の郭は「驚きすぎ」と小さく溜め息をつく。 驚いて後ろを振り向いた真田は、声をかけたのがだとわかると肩の力が一気に抜けて、突然話かけんな、と少し不機嫌になってしまっていた。

「怒んないでよ、一馬」
「別に、怒ってない…っつーか、ソレ絶対にこぼすなよな!」
「は? ソレって何?」
「その食事をこぼすなってことだよ」

一馬が返事をする前に英士がに言った。 当然、そう言われた理由が分からなくては首をかしげる。 そして今度は若菜が真田を見ながら笑いを堪えつつに言った。

「選考合宿の時にさぁ、風祭にメシぶっかけられたんだよ、一馬」
「風祭って?」
がポチって呼んでる奴だよ」
「え! ポチがそんなことしたの?」
「まぁ、あれは事故だったんだけどな」
「食堂にボール持ち込む奴が悪い」

当時のことを思い出して真田の機嫌は更に悪くなる。 それを見てまた若菜は笑い、郭は「根に持ちすぎ」とまた小さく溜め息をついた。 その様子を見ていたも笑っていると、突然"ドンッ"と背中に誰かの腕がぶつかりバランスを崩した。

「わ」
「あ」
「あー!」
「え? おわ!」

1番最後に気付いた真田が振り返ったとき、の持っていた斜めになりかけたトレーが頭上にあって もうダメだと思い目を瞑った。しかし頭には何も降りかかってこない。
目を開けて見てみれば、横に座っていたはずの郭が、こぼれないようにしっかりトレーを掴んでいた。 反対側を見れば若菜も片手でトレーを掴んでいる。

「あぶねー!」
「あと一秒遅ければ絶対こぼれてたね」
「心臓止まるかと思った…」
「ほんとヤバかったね…ありがとう2人とも」

はしっかりとトレーを持ち直すと、乗せていたものがこぼれてないか確認する。 郭はトレーから手を放して、ぶつかってきた人物が誰なのか周囲を見渡して探したが、 既にこの場から離れてしまったようで誰なのか特定することはできなかった。 郭同様に若菜も周囲を見渡してから眉間に皺を寄せる。

「くそっ、ぶつかったなら謝ってけよなー」
「ほんと最低だね。、大丈夫?」
「うん、全然平気。それより一馬、すっごいビビってたねー大丈夫?」
「寿命縮まった…っていうか俺見て笑うな!」
「ギャハハ! 一馬の顔、真っ赤! リンゴみてー」
「一馬も結人もうるさいよ。それよりも座れば? 食べるんでしょ?」
「ごめん、私あっちで食べる約束してるから」

の指差す方向には英士が予想した通りの人物達が座っていて、席に座っていたケースケが 偶然こちらを向いて郭とばっちり目があってしまった。 郭は表情を変えることなくまたの方を向き直すと、若菜も郭の見た方向を見てガクっと肩を下げる。

「えー、ここで食えば良いじゃん」
「ムリ…って、早く食べなきゃ。じゃぁまたね」

はそう言って、人にぶつからないように気を付けながらケースケ達の居るテーブルに向かった。 空いていたケースケの隣のスペースにトレーを置くと、ケースケが顔をあげてを見た。 それから郭達の方に目を向けたかと思えば、視線はまたへと戻る。

「どうかした?」
「俺、あいつ等に嫌われてんのかな…」
「どんまい」

返答に困ったが答える前に無表情のまま平馬がそう呟いた。

2004.11.22 / Top | 17:Final →