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とうに陽は落ち、ガラスの向こうには闇夜が広がっている。 外灯の光がぽつぽつとしか見えない外の景色を、は黙って見つめていた。 目的はただ一つ、外灯以外の光を見つけること。

「来たか?」

静まり返ったロビーにしびれをきらした若菜の声が響いた。

「まだだ」

の横に立ち同じく外を見ている椎名が答えて、その後チッと舌打ちした。 声には出さないものの椎名も若菜と同じように、変化のない外の景色を見続けてしびれをきらしている。 ジャージのポケットから携帯電話を取り出しては、リダイヤルを繰り返し、まだ相手に通じないと分かると また舌打ちをしてぎゅっとそれを握り締めた。
その様子を黙って見ていたが小さく溜息を吐く。

「仕方ないよ、病院では電源切らなきゃいけないんだから」
「出たなら通じるはずだろ」
「でも運転中なら出られない。出たとしても、戻ってから話すって言うんじゃないの」
「…クソッ」

こんなことは少し考えれば、椎名にも分かっているはずだった。 けれど冷静さを失った今では考えるものも考えられなくなってしまっている。 それほどまでに今、見過ごすことの出来ない重大な局面を迎えていた。
ロビーには椎名と若菜を含めた東京選抜のメンバー全員が集まり、 最初は多かった会話も次第に無くなり、皆黙って待つべき人の帰りを待っていた。

突然、コツコツと靴が忙しく床を蹴る音が近づいてきて、スーツを着た従業員らしき人物がやって来た。

「君達、そろそろ夕食をとりに来てくれないと困るんだが」
「すみません、監督達が戻ってきたらすぐ行きますので、もう少しだけ待っていただけますか」

お願いします、とキャプテンの渋沢が頭を下げると従業員は重苦しい雰囲気を感じ取ったのか、 「あまり遅くならないようにね」とだけ言ってロビーを離れた。
夕食のことなどすっかり忘れていたメンバー達は、もうそんな時間かといっせいに時計に目を向けた。 時刻は午後8時。決勝戦のあの時からずっとロビーで待ち続けていたから何も口にしていない。

決勝戦は取り止めになったが、選手達の中で勝敗を気にする者は誰一人としていなかった。
風祭はすぐに担架で運ばれ、付き添いの松下と共に救急車で病院へ向かい、 その後を西園寺監督が施設の車を借りて追いかけた。
あれから数時間経つが電話は鳴ることなく、風祭が病状や現在地が分からないまま、選手達はただひたすら待ち続けている。
みんな風祭の病状が軽いもので、笑いながら監督と帰ってくるのを信じていた。

「あ…」

外を見ていたが何かに気付き声を漏らした。 またリダイヤルして電話をかけようとしていた椎名は瞬時に視線を移して外を見る。

「帰ってきた!」

椎名が声を上げると、視線が一気に正面の入口へと集まった。 闇夜の中を二つの動く光は次第に施設へ近づいてきて、ぼんやりと正体を現す。 一台の車が駐車場へ入ってきた。運転席には監督、助手席には松下の姿がうっすらと見える。 エンジンを止めると光が消え、辺りはまた外灯の光だけの真っ暗な闇夜へ戻った。
バタンとドアを閉める音が聞こえ、こちらへ歩いてくる監督達が施設から漏れる光によってまた姿を現す。 しかし姿を現したのは監督と松下だけだった。両者とも、表情は深刻だ。
自動ドアが開きロビーへ入ってくる監督達に、一目散に椎名が駆け寄り声を荒げる。

「玲、あいつは? なんで一緒じゃないんだよ」
「風祭君はここへは戻らないわ」
「は…? それ、どういう」
「命に別状は無いのよ…ただ、今は戻ってこれる状態じゃないの」

状況が全く読み込めないのは椎名だけではなかった。 ここに居る全員―監督や松下さえも―が今ある状況が信じられず、困惑している。

「監督、それだけじゃわかんないっすよ。もっとちゃんと説明してくんないと…」

事の全てを理解したくて、監督に知っていることを全部話して欲しいと藤代が言った。 本当はもっと問い詰めたかった。けれど監督の表情が険しく深刻だった為にできなかった。

「まさか、足になにかあったんですか」

思いつめた表情で黙ってしまっている監督に、水野が恐る恐る聞いた。 監督は少し考えて、決心がついたのか、その重い口をゆっくりと開いて話始めた。 一同は息を呑み、監督の話に耳を傾ける。

「風祭君、膝に手術が必要な大怪我をしてて、しばらく入院しなければならないの。
 だから明日お兄さんが迎えに来て、東京の病院へ転院することになったわ」
「信じたくは無いが…この怪我は彼の将来に、支障をきたす可能性があるようだ」

監督に続いて言った松下の表情や声から、なんでこんなことになってしまったのか、 悔やんでも悔やみきれないという思いが溢れ出ている。

「それって…もうサッカーができなくなるってことなのか」

小岩が横に居る杉原に問うと、杉原は伏目がちに「そうなるかもしれないってことだよ」と静かに答えた。 いままで近くで接してきた彼らにとって、風祭からサッカーを取り上げるということが、 どれほど残酷で悲惨なことか想像しただけでもぞっとする。
監督は同室の藤代に風祭の荷物をまとめてくれるように頼むと、疲れの混ざった微笑みを見せて言った。

「風祭君のことだもの、大丈夫よ。怪我に負けるようなほど弱くないわ。絶対にまた戻ってくる。
 それよりあなた達、この様子じゃまだ夕食を済ませてないんでしょう。早く食堂へ行きなさい」

元気付けるように選手達の背中をぽんっと叩くと、まだ納得いかないような表情をしながらも 選手達は揃って食堂へと歩いていった。
それでもまだ窓の前で立ったままぼうっとしているを見つけ、同じく食堂へ行くように声をかける。

「あなたもまだ食べてないんでしょう。ずっとここに居たら風邪ひいちゃうわよ」
「監督」
「なに?」
「ほんとに大丈夫なんですか、風祭」
「大丈夫だって信じる。私達にはそれしかできないでしょう。怪我を治すのは、医師と風祭君自身よ」
「…そっか」

は寄りかかっていた壁から背中を離すと、選手達に続きとぼとぼと食堂へ向かい歩き始めた。 それを見た監督はの背中を優しく叩き「そんな暗い表情、似合ってないわ」と声をかける。 意識して表情を暗くしているわけではないから、言われてすぐ表情を直すことはできない。 けれど、これ以上監督の不安要素を増やしてはダメだと思い、はぎこちなく微笑みそれに答えた。



食堂には東京選抜以外の選手達の姿も見受けられる もうすでに食事を済ませてしまっていたのか、圭介達の姿は見当たらなかったが、 シゲと吉田が食事を取っているのを見つけた。
なんとなく今は彼らに気付かれたくなくて、なるべく離れた席を選ぶ。 食事を受け取ったものの、あまり喉を通りそうになくて、軽いサラダを口に運んだ。 ドレッシングをかけていないサラダは無味で、噛む感触だけが口に広がる。

「俺さっきロビー通りかかったとき聞いたんだけどさあ、東京の倒れた奴いるじゃん?」
「ああ、あの小さい奴か」
「あいつ足やばいらしいぜ」

隣のテーブルに座っていた男達の会話がの耳へ入ってきた。
目をやると、見たことの無い人物で、選抜のジャージを着ていないからどこのチームかわからない。

「練習試合でマジになってやりすぎなんだよ。俺ならあんなに必死になんねえけど」
「なあ。これで再起不能とかになったらウケるよな」

時折、笑い声の混ざるその会話がうるさいくらい耳に響いて、不快感が徐々に募ってくる。 口の中の野菜は無味なはずなのに不味く感じてきて気持ち悪くなってきた。 それを飲み込みフォークをトレーに置くと、は我慢ならなくなり隣の男達に声をかける。

「好きなことに一生懸命になって何が悪いの」

突然声をかけられた男達は一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに反論を始めた。

「一生懸命になりすぎてっからこういう結果になるんだろ」
「そうそう、怪我すんのも自業自得」
「だからって中途半端な気持ちでサッカーやってるあんた達に笑う権利ない」

怪我するだろうなんていちいち考えてたらサッカーはできない。 練習だとか公式とかなんて関係なくて、勝つ為に目の前の敵にまっすぐぶつかって 真剣に戦ったがゆえに起こってしまった出来事を、笑い話にするなんて最低だ。

「てめーにだって偉そうに注意する権利ねえだろ!」

片方の男が立ち上がり、の胸倉をつかんだ。
べつに殴られてしまってもいい、とは思っていた。
殴って男達が風祭の話をやめればいいし、風祭の怪我に比べたらこんなの軽い。 男が拳を振り下ろす。反射的にぐっと目をつぶって、痛みが走るのを待った。
…がしかし、待っても頬に拳が当たらない。その代わりに、パシっと小さな音が聞こえた。 不思議に思って目を開くと、横にシゲが立ち男の拳を手のひらで受け止めていた。
手を放すと、今度はの胸倉を掴んでいる方の手首を掴み軽々と捻る。男は痛みに顔を歪めた。 そこへ騒ぎに気付いた渋沢が慌てて止めに入り、捻ったままの腕を放すように言うと、 シゲはすんなりと男の腕を放した。男の腕はシゲが掴んでいた部分だけ赤くなっている。

「なにがあったんだ、一体」
「この女が俺達に偉そうに説教すんのが悪ぃんだよ」
「なに言ってんの。元はと言えば、あんた達が風祭のこと悪く言うからいけないんじゃない」

渋沢は風祭という名前が出たことに一瞬表情を曇らせたが、とにかくこの場を上手く治まらせようとした。 男達はを睨むとすぐに食堂を出て行き、渋沢は困った表情をしながらも自分の席へ戻っていった。

「聞いてたんでしょ、話」

側に立ってる黙ったままのシゲに向かって、は静かに言った。 シゲは否定も肯定もせずに自分の席に戻ろうとした為、はジャージの裾を掴んで引き止める。 だがシゲは振り返ることなく、立ち止まって前を向いたままだった。目を合わせるのを拒むかのように。

「好き勝手に言われ放題で悔しいと思わないの」
「そんなんいちいち気にしとったら、きりないやろ」
「でも」
「それにあいつが怪我したのは、俺のせいでもあるんやし」

シゲの一言にははっとして返答に詰まった。 無意識に緩んだ緩んだ手からするりとジャージの裾が抜ける。 シゲは座っていた席へと戻って行くが、今度は引き止めることができなかった。
否定しておくべきだったのに、なんで言葉にして言えなかったのだろう。

2005.10.16 / Top | 19:Teammate →