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19:Teammate
結局、夕食はサラダ以外のものが喉に通ることはなかった。
部屋に戻りベッドでうつ伏せになって、は合宿であったことを思い返している。 今日一日の出来事が頭の中で再現される。まるで悪夢だ。 合宿がこんな形で終わろうとしてしまうなんて、予想外のことでショックが大きい。
風祭は本当に戻ってこれるのだろうか。 信じて待っていれば必ず戻ってくるという保障はどこにあるのだろうか。
あの男達が言っていたように再起不能となって、一生サッカーができなくなってしまったら…と、 こんなこと考えてしまう自分が嫌になりつつあった。
それになんで私は、父親に言われるがまま、こんな合宿に飛び込んでしまったんだろう。 やっぱり来なければ良かった、とは後悔し始めたが、いまさら後戻りすることは不可能だった。

ごろんと仰向けになって深く息を吐く。すると喉に違和感を感じた。 暖房の効いた部屋の乾燥した空気が喉を乾かす原因だと気付くと、は仕方なく起き上がり 小銭だけを持って部屋を出た。



「あ…」

自動販売機の前には真田が居て、ちょうど買った飲み物を取り出そうとしているところだった。 に気付いた真田は驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの表情に戻る。 今回も若菜と郭の姿は見当たらず、真田一人のようだ。

「よく会うね」
「おまえが来るタイミングがおかしいんだよ」
「そっちだって」

が少し笑いを含みながら言うと、真田も同じように少しだけ笑う。 自動販売機の前に立ち何を飲もうか選んでいると、缶を持ったまま真田が側に立っていた。

「なに」
「金持ってんのかよ」
「失礼な、ちゃんと持ってるよ。いつも人に奢ってもらってるわけじゃないんだから」
「ふぅん…」

小銭を入れてボタンを押すと、ガタンと音を立てて缶が落ちてきた。 その後ろで真田は自分の缶のふたを開け、それを飲み始める。 缶を取り出すと自動販売機の前に立ったまま、もふたを開けて飲み始めた。
廊下に人影は無く、辺りには異様な静けさが漂っている。

「さっき…、大丈夫だったのか」

音量は小さくても真田の声は消えることなくの耳に届く。 飲むのを一旦止めて後ろを振り返ると、真田はの顔ではなく足元に視線を置き、 下を向いているから前髪が顔を目を隠しまい、うまく表情が読み取れなかった。 仕方なくは真田の頭に視線を置き、生まれた時から変わってないであろう黒い髪を見つめる。

「大丈夫といえば、大丈夫だけど」
「なんで殴られそうにまでなってたんだよ」
「…あいつらが、風祭のこと悪く言ってたから」

真田がようやく顔を上げると、今度はの顔が下がって視線が合うことはなかった。

「でもよく考えてみれば、私も人のこと言えないんじゃないかって思ってさ」
「なんでだよ」
「中途半端な気持ちでサッカーやってるのは、私も一緒だし」

真田は状況がうまく理解できず、困惑した表情を浮かべる。 は下を向いたまま黙り込んでしまった。静けさが更に増したような気がして 重い雰囲気に押し潰されそうになりながらも、真田は言葉を選びながらゆっくりと言った。

「なんか、よくわかんねえけど…そんなこと言うなら本気でやれよ」

応答は無い。だが真田は喋り続けた。

「親に駄目だって言われて、すんなり諦めんなよ。その程度のもんなのか、サッカーは」

真田の問いに、は小さく首を横に振って答える。

「だったら…本気で説得しろよ。いつまでも迷ってたって、無駄に時間が過ぎてくだけだろ。
 だからおまえの親父は、決心つけさせる為にここへ来るように言ったんじゃねえのかよ」

素質あると思うし諦めたら勿体ない、と真田は続けた。 すると下を向いたままのの肩が小さく震え出し、それに気付いた真田は慌てふためき出す。

「お、おい…」
「ふふふっ」
「なっ…! 人が真面目に話してんのに笑ってんじゃねえよ!」
「だって、真田がこんなこと言うなんて…」
「言っちゃ悪ぃのかよ…もういい、勝手にしろ」

真田は缶の中身を一気飲みすると、空き缶を自動販売機の横にあるゴミ箱へ乱暴に投げ捨てた。

「でも、ちょっと感動した。ありがとう」

部屋へ戻ろうと真田が歩き始めた時、が顔を上げて言った。 そして、うっすらと涙が浮かんだ目を指でこすり、鼻をすすって笑う。 振り返ってそれを見た真田はぎょっとして驚いたが、小さく溜息を吐いて呆れたように笑った。

「おーい一馬、飲み物買うのに何分かかってんだよ。
 まさか自販機の下に小銭落としたとかいうベタなことしてんじゃないよな…って、あれ?」
「帰りが遅いと思ったら、こんなところで楽しそうに立ち話してたんだ」

突如、背後に現れた若菜と郭に、真田の顔からは血の気が引き始める。 そして悪いことは何一つとしていないはずなのに、真田は慌てて言い訳をしたが 両者とも聞く耳は持たず、それを軽くあしらうとの方へ行ってしまった。

「ちょうどよかった。一馬見つけたら呼びに行こうと思ってたから」
「え、なんで」
「いま桜庭達の部屋でさ、おもしろいことやってんだよ」
「おもしろいことって、なによ」
「それは見てからの」
「お楽しみ」

顔を見合わせて笑みを浮かべる郭と若菜に、の頭は疑問だらけになってしまったが 肩を押され自分の意思とは別に足が動き始め、言われるがままに桜庭達の部屋へ歩き始めた。

「一馬も早く来いよー置いてくぞ」
「お、おう」

先程の二人の態度で軽くショック状態になっていた真田はやっと我に返り、 部屋へ向かう三人の後を追いかけた。



桜庭達の部屋のドアを開けると、中は明らかに定員オーバーだった。 東京選抜のメンバーたちが全員集まっていて、先程の暗い表情は嘘かのように笑顔で 部屋には明るい声や笑い声が響いている。
ドアが開いたことに気付いた椎名が振り向いて、を見ていつもの笑みを浮かべた。

「やっと来たな」
「なんですか、おもしろいことって」
で最後だ」

質問には答えず、椎名はに向かって何かを投げる。それはサッカーボールだった。 だけど普通の模様とは別に、手書きで文字がたくさん書かれていて、くるくると回しながら読んでいくと 大きい字で"祝 ハットトリック達成"と書かれている。 顔を上げて周りを見渡してみると、皆がこのボールに注目していた。

「これ、風祭に?」

椎名が頷いて答える。 決勝戦で風祭がハットトリックを決めていたことを、すっかり忘れていた。
は改めてボールに目をやり、寄せ書きをひとつひとつ読んだ。 それぞれの文字に込められた想いが、じわじわと伝わってくる。 風祭がチームに与えた影響がどれほどのものなのか、会って日が浅い私にも分かる気がした。

「わ、これなんて書いてあるの…」

毛筆で縦に書かれた、文字のようで文字じゃないように見える寄せ書きを見てが呟くと、後ろから若菜がボールを覗き込む。 そして何を指していたのか分かると、息を吹いて笑い始めた。

「笑うなよ、結人!」

笑い続ける若菜に、真田が言った。真田の顔は心なしか赤くなっているようにも見える。

「え、これ一馬が書いたの?」
「…そうだよ、悪ぃかよ」
「べつに悪くはないけど」
「一馬、習字が得意なんだよ」

隣に居た郭が耳打ちすると、は「え、これで?」と言いそうになってしまったが、 そんなことを言ってしまったら真田は余計に傷つくだろうと思いやめた。 半紙に書くときはもっと上手なんだろう、とそう思うことにした。

「どうする、ちゃんも筆ペンで書く?」

笑いを堪えながら若菜が言うと、真田がまた怒り始め、それを郭がなだめた。 これが若菜と真田だけだったら、きっと収集がつかなくなっているだろう。 その三人をよそに近くにいた水野がにサインペンを渡した。

「あ、ありがと」
「これ、やろうって言ったの誰だと思う」
「…椎名?」
「シゲだよ」
「え」

名前を聞いて目を丸くするを見て、水野はおかしそうに笑った。

「あいつがコレ持ってくるまで、風祭がハットトリック決めたことなんてすっかり忘れててさ…、
 チームメイトが祝ってやらないでどうするんだって言われて、やっと気が付いたよ」
「そう、なんだ…」

は感慨深げにボールを見る。 "祝 ハットトリック達成"の文字の下で見つけた、シゲの寄せ書き。 彼が誰よりも一番、風祭が戻ってくるのを信じて待っているんだということが分かると、 の胸はぐっと熱くなった。

「ほら、早く書けよ」

いつまでもじっとボールを見つめているに、椎名が待ちきれないという様子で声をかける。 ボールを抱え、空いたスペースを見つけると、そこにゆっくりと文字を書き始めた。

この時、の胸には一つの目標が生まれ、将来についての決心がついていた。 そこにはもう迷いや悔いは残っていない。

2005.10.16 / Top | 20:Time up →