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閉会式をするホールに入ってみると、人はまばらで知り合いの姿はなかった。
集合時間より早めに来てしまったのだから仕方ないか、とはとりあえず東京選抜の座席の
端の方を選んで座り、ぼうっとしながら話し相手になる誰かが来るのを待つことにした。
嵐のような合宿生活がついに終わりを迎えようとしている。 本当にあっという間の出来事で、身体に心が付いて行けていない。 いろんな人と出会ってあった出来事全てが、もう一人の自分が体験していたような気がした。 だけど、昨日のことを思い出してみれば、全てが現実であったのだと強く想う。 何も期待していなくて、嫌々参加していた合宿で、こんな体験をするなんて夢にも思っていなかった。 「ういっす」 前を向きながらも遠くを見ていたに、いつの間にかホールへやってきた圭介が声をかけた。 後ろには平馬の姿もあり、瞬きすらしないを不思議そうな顔で見ている。 声をかけられても返事をしないは、圭介に肩を叩かれ、やっと我に返った。 「わ、おはよ」 「早起きしすぎて眠いのか?ぼーっとして」 「人生っていつ何が起こるかわかんないなあ、って」 「はあ?」 「…考え事してたんじゃなくて寝てたんじゃねーの」 「平馬じゃないんだから目開けたまま寝ないよ」 「俺ちゃんと目瞑って寝てるよなあ、圭介」 「俺に聞くなよ」 ふと周りを見てみると、先程とは違いホールには人が続々と集まってきていた。 人が集まるに連れて騒がしくなるホールに松下がやって来て「初日と同じ席に着くように」と 声を張り上げて言う。は初日、この席に座っていたわけではなかったが、そのまま座ることにした。 圭介と平馬も自分の席のほうへ行ってしまったので、また退屈が戻る。 「そこ俺が座ってた席だって知ってて座ってんの?」 急に眠くなってあくびをしていると、隣に椎名が仁王立ちでを睨んでいた。 目に浮かぶ涙をジャージの裾で擦ってみてると、続けてまたあくびが出る。 「知ってたら座らないです」 目を擦りながら答えるに椎名の眉間にはシワが寄る。 そんな椎名を見てはめんどくさそうに席を立って周りを見渡した。 「風祭の座ってた席ってどこ?」 「鳴海の隣だけど」 「げ」 名前を聞いたとたんの顔が引きつった。 椎名が冗談で言っているものと思い、椎名の後ろにいた黒川に再度聞いてみると、彼は縦に頷いて答える。 もう一度確認の為、鳴海の姿を探した。すると、2列くらい前の席に藤代と並んで座る鳴海の姿があり、 その横は確かに空席となっていた。どうやら本当にあそこが風祭の席だったらしい。 「私あいつ苦手なんだけど」 「奇遇だね。俺もそう思ってたとこ」 椎名は一息つくと、前方にいる鳴海に向けて「将の分詰めて座れよ!」叫んだ。 すると鳴海は眉をひそめて振り返り、椎名を睨みつける。 「なんで俺が移動しなきゃなんねえんだよ」 「空いてたら詰めるのが当然だろ。横にひとつ移動するぐらいでぐだぐだ言うなよ」 椎名の言い方が気に入らないのか、鳴海はまだ何か言い返そうとしていたが、藤代に宥められ渋々席を移動した。 鳴海が移動したのを確認すると、椎名はの隣の席へ着いた。黒川も椎名の隣の席へ着く。 はまだ立ったまま、隣に座る椎名を見ていた。椎名は座らないを見てまた眉間にシワを寄せる。 「なにしてんだよ、さっさと座れ」 「こっちの席に座ればいいじゃないですか」 「席なんかどこでも一緒だろ。いいから座れ」 さっきと言い分が違う椎名には呆然とする。しかしほとんど席が埋まった状態で今更移動するのも無理がある。 言われるがままに席へ着くと、黒川の小さな笑い声が聞こえた。 「素直じゃねえな、翼」 「うるさい!」 椎名が声を荒げる理由がわからずは2人を見ていると、前方から松下の「静かに!」という声が聞こえて前を向いた。 時計の針は集合時間を5分過ぎたところを指している。 既に監督やコーチ達も集まっていて、最後に榊が現れるとホールは静寂に包まれた。 そして、全体の挨拶を済ませると榊が話し始めたが、は上の空で話はほとんど頭の中へ入ってこない。 ただじっと時計の秒針を眺めていた。 「ちゃーん!」 「ぐえ」 荷物を持ってロビーへ足を踏み入れた瞬間、名前を呼ばれたかと思えば背中に重いものが覆いかぶった為、 は人間らしくない声を発して顔を歪める。 そして、全く軽くならない背中のせいで押し潰されそうになり、「ギブギブギブ!」と苦し紛れに後ろの人物を叩いた。 すると背後の人物は我に返ったのか、慌ててから離れて頭を下げた。 は乱れた呼吸を整えると、改めてその人物を見た。 の目は鋭く、見たというよりは睨んだという方が正しいかもしれない。 「最後の最後に殺す気?」 「ち、違うったい!」 「バスば乗れって、なんべん言うたら分かっとや! アホ!」 昭栄が誤解を解こうとしていると、どこからともなく飛んできた功刀が昭栄に飛び蹴りをする。 功刀に続き城光が現れると、この状況を見て深く溜息をついてに謝った。 「最後まで迷惑ばかけとってすまんな」 キャプテンも大変だ、とは心の中で城光に同情した。 これから帰るというのに喧嘩を始めた功刀と昭栄を見て城光はまた溜息をつくと、仲裁に入り喧嘩をやめさせた。 「監督ば呼んどるけん、早うバスば乗らんと」 「え! まだ全然喋ってなかですよ!」 「自業自得ったい」 冷たく言い放されショックを受ける昭栄に功刀は「バスば乗らんのなら、歩いて帰ればよか」と更に追い討ちをかける。 それは嫌だとすかさず昭栄が拒否し、時間がないことに焦りながらの両手を掴んだ。 「案内ばするけん、いつでも九州ば遊びに来たらよか」 「あ、ありがとう…」 「いっそのこと、お嫁に」 「せからしか! さっさとバスば乗れ!」 「あいたー!」 昭栄の失言に我慢の限界を迎えた功刀が再度蹴りをいれると、城光に昭栄をバスへ連れて行くように言った。 城光に引っ張られながらもに手を振りながらロビーを出て行く姿に、は苦笑し、功刀は舌打ちする。 そして、自分もバスに乗るため功刀も歩き始めた。 「カズ」 「あ?」 「別れの挨拶は無し?」 がそう聞くと、功刀は帽子を更に深く被りなおし「じゃあな」と顔を見ずに言って歩き出してしまった。 照れ隠しの行動を見て、は口元に笑みをこぼす。 「じゃあね。昭栄と仲良くしなよ」 の声は功刀の耳に届いていたはずだが、返事は無くて立ち止まることもなかった。 そのまま功刀の後ろ姿を見届けていると、はまた誰かに名前を呼ばれる。 振り返って見ると、眉をハの字にして目に涙をためている吉田の姿があった。 捨てられた子犬のような顔をしている吉田に、先程まで笑っていたの顔が引きつる。 「ど、どうしたのそんな顔して…」 「今日でお別れやねんな…ほんま悲しゅうて泣きそうや」 そう言う吉田の目からは既に涙が流れ始めていた。 まさか本当に泣かれてしまうとは思ってもいなかったは動揺し、 とりあえず泣き止んでくれるように吉田に頼む。 周りから見れば自分が加害者のようで、一刻も早く泣き止んでくれないかとはひやひやしていた。 自分が泣いているということに気がついていないのか、瞳からまっすぐ頬をつたい落ちてくる涙を吉田は拭うことすらしなかった。 が鞄を開け、使っていないタオルを引っ張り出そうとしていると、吉田は我に返ったのか、 自分の頬をつたう涙を手の甲で拭き取る。 「ごめんなぁ、男が泣いたらあかんよな」 ずび、と鼻をすすり、ジャージの袖で目を擦ると吉田はようやく泣き止んだ。擦ったせいで目が少し赤くなっている。 はタオルを貸そうとしたが、すぐ洗って返せないから、と吉田は受け取るのを断った。 吉田は笑顔を作って見せるが、すぐにまた眉がハの字に戻ってしまった。 別れてしまうということは仕方がないことだし、はなんて声をかけていいものか分からなくて、 悩んでいるうちに吉田と同じように眉がハの字になってしまう。 「そんな顔せんといてや」 「ノリックだって」 「ちゃんには笑顔が似合うと思うんにゃけど」 「その言葉そっくりそのまま返すよ」 「へへ…おおきに」 吉田にいつもの笑顔が戻ると、の表情も元に戻った。 ふと周りを見渡してみれば、シゲの姿が見当たらないことに気がついた。 金髪の人物を見つけても、それは同じ関西選抜の井上で、井上の近くにもシゲの姿は無い。 「ねえ、あいつは?」 「あいつって…藤村?」 「そう」 「部屋出る時は一緒やったんけどなぁ…もうバス乗ってしもうたんやろか」 用事でもあったん? と言う吉田に、は首を横に振った。 本当は用事があったのだけれど、吉田に伝言を頼むのも、バスへ呼びに行くのも気が引けてできなかった。 は昨夜の食堂で会った以来、シゲの姿を一度も見かけていない。 これはもう避けられているとしか考えられなかった。 「ノリック、置いてくでー」 関西選抜のメンバーが出入口から吉田を呼ぶ。 吉田は慌てて返事をすると、最後にと握手を交わした。 「ほな、元気でな。ちゃんのこと一生忘れへんよ」 「ノリックも元気でね」 もう一度笑顔を見せると、吉田は走ってチームメイトの方へ行ってしまった。 ロビーの窓から、施設を後にするバスを見て、やっぱりシゲに謝った方がよかったかな、とは少し後悔する。 しかし、時すでに遅し。関西選抜を乗せたバスが動き出し、施設からどんどん離れて行ってしまった。 |
2005.12.30 / Top | 21:Fantasista → |