|
目の前に広がる透き通った青の空はいつもに増して眩しく見えて、
時折、吹く風が木の枝を揺らして優しく音を立てる。
真上から地上を照らす太陽の光は露出した肌にジリジリと焼きつき、
今年もまた夏がやってきたのだと実感する。
梅雨が明けて、清々しく晴れた空の下で体育の授業をするのは久しぶりだった。 体育はあまり好きじゃないけれど、蒸し蒸しとした体育館の中で運動をするのは辛かったから、 外に出て運動出来るのは少し嬉しい。 「じゃぁ始めるぞー」 先生が笛を吹いて声をかける。今日の授業内容はサッカーだ。 男子達はリフティングの練習とかだけでは満足できないらしく、 授業の残り時間半分を使ってミニゲームをすることになった。 しかし女子の大半はサッカーのルールすら知らない。もちろん、私も。 だから男子達は2つのチームに分かれてミニゲーム、先生はそれの審判、女子達はリフティングの練習。 けれど女子はみんな男子達のミニゲームを観ようとしていて、誰もリフティングの練習をしなくなってしまった。 自分ひとりだけ練習をしてもしょうがないし、私も友達と一緒にゲームを観ることにした。 「うわー、なんで平馬そっちのチームなんだよ」 「しかもそっちサッカー部多いし!」 サッカーといえば、サッカー部より横山くん。某男子曰く「平馬が居れば勝ったも同然」。 だから当然、横山くんが取り合い状態になってしまう。当の本人はどちらのチームに入ろうが構わないらしくて、 結局両方のチームの代表がジャンケンで決めることになってしまった。 サッカー部員も先生が平等に分けて、やっとゲームがスタートした。 流石、ルールの分かっている男子達。 ちゃんとポジション分けをしていて、女子のように1つのボールに全員が群がるということはない。 ボールはちゃんとパスで繋げられて、横山くんの下へ飛んで行った。 横山くんはそれを足で柔らかく受け取って、蹴り上げたボールは綺麗な弧を描いてゴールへと入っていった。 その瞬間、同じチームのメンバーは喜んで横山くんに駆け寄り、相手チームのメンバーは"やっぱり"と 言わんばかりの表情で顔を見合わせる。周りの女子は黄色い声で歓声をあげる。 私はというと、初めて見る横山くんのサッカーをしている姿に驚きを隠せなかった。 上手いと前々から聞いてはいたものの、たまにテレビのニュース見たりするプロの選手のシュートシーンを 観ているかのようで、同じ年齢の人がしたこととは思えなかった。 「横山くん、すごいねー」 「えっ、あ、うん…すごいよね」 「ね、横山くんってどんな人?の後ろの席だったよね?」 「どんな人って…普通の人、だと思うよ」 その普通が分からないんだよねぇ、と友達はまた視線をゲームの方へ戻した。 横山くんがどんな人だかなんて、会話をするようになってまだ少ししか経っていないんだから説明出来ないよ。 知っていることよりも、知らないことの方が多いのだから。 私がゲームを観ていない間にも、横山くんが起点となって得点が入ったみたいで、 また相手チームは下を向いてしまっていた。 数十分の試合はあっという間に終わってしまい、周りの予想通り横山くんの居るチームが勝っていた。 この数十分で横山くんが本当に上手いことは分かったけれど、実力はこんなものじゃないんだろうな… こんな授業でのゲームなんてただの練習に過ぎないのだろう。 「今日の授業はここまでだ。転がってるボール、ちゃんと1人1個片付けてから教室戻れよー」 先生の呼びかけに皆はやる気無さそうに返事をする。けれど言われた通りに近くに落ちているボールを 拾って片付けてから校舎の方へ戻って行っていた。 私も友達も、すぐ近くにあったボールを1つずつ拾ってカゴに戻した後、教室に戻ることにした。 友達と話しながら歩いていると、校庭の端のフェンスの近くにサッカーボールが1つ転がっているのが見えた。 周りを見渡してみたけれど、もう皆は校舎の方へ戻ろうとしていて誰もボールに気付きそうもない。 先生はもうボールの入ったカゴを用具倉庫の方へ戻そうとカゴを押しながら歩いていて、 拾ってから走って追いかけなければ片付ける先生にも次の授業にも間に合いそうもない…。 迷った上、足に自信があるわけではないけれど、やっぱり急いで拾いに行くことにした。 「ごめん、あそこのボール拾って戻るから先に行ってて」 「え、さっき1個拾って戻したんだから放っときなよ」 「うん…でも気になるから、拾ってくる」 「そっか、わかった。でも急がなきゃ次間に合わないよー」 「うん」 友達と別れて、走ってボールを拾いに行った。 本当ならもっと足の早い人が気付いてくれれば良かったけれど、仕方がない。 ボールの所まであと少し。その時、地面を蹴って進むスニーカーの足音が2つに増えて聞こえた。 「さん」 空耳か確かめようと一度立ち止まって後ろを振り向こうとした瞬間に名前を呼ばれてハッとした。 最近やっと名前を呼ばれることに慣れたその声に、ちょっとした安心感を覚えたのは何故だろう。 「横山くん」 「それ、俺が持ってくから」 「え、でも」 戸惑う私をよそに、横山くんはボールを持って先生の方へ走って行ってしまい、私はお礼さえも言うことが出来なかった。 前回は傘、今回はボール…。横山くんは私の救世主のように思えてきた。 単に私が鈍くさくて見ていられないだけかも知れないけれど。 そんなことをゆっくり考えている時間も無く、私は急いで先を歩く友達を追いかけた。 走って友達に追いつくと、私が戻ってくるのが早すぎて吃驚していた。 「あれ、もう片付け終わったの?」 「うん、横山くんが持って行ってくれたから」 「へー横山くんって意外と優しいんだ…それとも、のことが好き、とか?」 「なっ!ちょ、な、なんでそうなるの!違うよ、絶対!」 「冗談だってば」 私があまりにも必死に否定する姿を見て友人はまだ何か言いたそうな感じでにやにや笑っていた。 横山くんが私を?ううん、そんなこと絶対にありえない。 それより、友人には逆に私が横山くんを好きなんだと勝手に思われてそうで怖い…。 いや、私たぶん横山くんが好き…なんだけど、周りにも相手にも知られたくないし、 変な噂が出たりしたら恥ずかしくて学校になんて居られなくなる。 「あ、知ってる?隣のクラスに横山くんの彼女居るんだよ」 昇降口に入った時、友達が運動靴を脱ぎながら思い出したように言った。 一瞬、何を言ってるのか理解出来なくて、もう一度同じことを言ってもらったけれど、 どうやらそれは私の空耳ではなかったようだ。横山くんの彼女、確かに友達はそう言っていた。 「え!彼女!?」 「ちょっと、声大きいって!」 「ご、ごめん…!」 初耳だったし、想像もしたことなかったから心臓が口から飛び出そうなほど驚いてしまった。 幸い、周囲に聞かれて困るような人は居なかったから安心したけれど、平然を装うのは難しかった。 横山くんに彼女…その言葉だけが頭の中でエコーしている。 ゲタ箱に運動靴をしまって上履きを出して履いたけれど、左右を間違えてしまい慌てて履き直した。 「横山くんに彼女居るなんて知らなかった…」 「うそ?有名だよー。まぁ、噂だけどね」 「え!噂!?」 「だから声大きいって!」 「ご、ごめんなさい…」 本当はどうか分からないけど、なんて言われても周りから見て付き合っているように見えるのならば 噂も本当かもしれない。それも横山くんだしね…あれじゃぁ彼女が居ても全然おかしくないもの。 更衣室へ向かう途中、理科室の方から授業を終えた隣のクラスの生徒がいっぱい出てきた。 隣のクラスといえばさっき言ってた彼女さんが居るのか…どんな子なんだろう。 そう思いながら理科室を通り過ぎようとした時、友達が理科室の中を覗き込みながら言った。 「あ、ほら、あの子だよ。いま先生と話してる」 立ち止まって理科室の中を覗くと、理科の先生と話している女の子が居た。 後ろ姿しか見えないけれど、艶々の焦げ茶色の髪の毛がすごく綺麗だと思った。 「雅ー、早く行こうよ」 「あ、うん。今行く」 私の横に隣のクラスの子がいつの間にか立っていて、中に居た子を呼んだ。 呼ばれて振り向いた雅という子は同性でも見惚れてしまうほど綺麗な容姿をしていて、 同い年とは思えない落ち着いた雰囲気を持っていた。 立てば芍薬・座れば牡丹・歩く姿は百合の花、という言葉があるけれど、彼女はまさにその通りの人物だった。 私の傍を彼女が通り過ぎる時、ふんわりと優しい香りがした。 「お人形みたい…」 「ねー、いつ見ても本当に綺麗」 友達は彼女に羨望の眼差しを向けながら呟いた。 私は羨望よりも同じ学校にあんな子が居たなんて知らなかったから吃驚した。 しかもあの子が横山くんの彼女だなんて。 * 着替えを済ませて教室へ戻ると、既に横山くんが席についていた。 鞄を机の上において、教科書等を出して鞄に入れている。今日もまた早退するんだ。 彼にとってはもう慣れたことなんだろうけれど、学校とサッカーの両立って大変なんだなぁと改めて思った。 「さっきは、ありがとう」 さっき言えなかったお礼を言うと、横山くんは何のことだかわからなかったみたいで一瞬動きが止まったけれど、 すぐ思い出してまた教科書を入れる作業を再開した。 「お礼なんていいのに」 「でも、助かったから…ありがとう」 またお礼を言うと、横山くんはふっと笑って私を見た。 目が合った瞬間、私の心臓は大きく飛び跳ねる。 そして脈は徐々に早く波打って、顔の温度が徐々に上昇する。 横山くんは席から立ち上がって鞄を肩にかけた。 もう行く時間になってしまったのだ。 「ノート、よろしく」 「あ、うん」 「じゃぁ」 横山くんはそう言って教室を出て行った。 入れ替わりで国語の先生が入って来てすぐに授業が始まる。 先生は横山くんが居ないことに気が付くと、今日もサッカーの練習なのか、と感心していた。 そして未来のJリーガーを教え子に持てて幸せだ、なんて感動して泣く真似をしながら言った。 卒業したら、もう横山くんには会えないのだろうか。 さっきみたいに話すことさえ出来なくなるのだろうか。 そう思うと、焦りや不安や淋しさがこみ上げてきて心が苦しくなってきた。 私の出る幕など無いのかもしれない。告白などしない方が傷つかずに済むかもしれない。 何度も自分に問い掛けても、気持ちが楽になる答えは出てこなかった。 |
薄暑 2005.02.19 | 表紙 / 炎天 → |